法廷が泣いた!
「法廷が泣いた!」
以前、私の住む地域である事件がありました。記事の内容を詳しく書きますので、みなさんじっくりお読みになって、ご自身でお考えくださいね。
京都市伏見区の桂川河川敷で2月1日、無職K被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が行われた。事件の内容は、認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。K被告は母を殺害後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取りとめた。
K被告は両親と3人くらしだった、95年に父が亡くなり、その頃から母に認知症が出始め、一人で介護をしていた。母は05年ころから昼夜が逆転して、徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。K被告は休職してデイケアなどを利用したが、介護負担は軽減せず9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
「死ねと言うことか・・・」
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月に31日に心中を決意した。「最後の親孝行に」K被告はこの日、車椅子の母をつれて京都市内を観光。市内のコンビニで、被告は財布に残っていたわずかな小銭で菓子パンを買い、二人で食べたという。
2月1日早朝、京都市伏見区桂川河川敷の遊歩道で、K被告が「もう生きられへん、ここで終わりやで」などと言うと、母は、「そうか、あかんか。ずっと一緒やで」と答えた。
被告が「すまんな」とあやまると母は「こっちへこい」と呼び、K被告が母の額にくっつけると母は、「おまえはわしの子や。わしがやったる」と言った。この言葉を聞いて、K被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡をはずして右腕で涙をぬぐう場面もあった。裁判では検察官がK被告か献身的な介護の末に失業等を経て、追い詰められていく過程や殺害時の二人のやり取りを供述。そのなかで被告は次のように語った。
「母の命を奪ったが、もう一度 母の子で生まれたい・・・」
陳述の最中に検察官が涙で声を詰まらせるという異例の雰囲気の中で裁判は進行した。
目を赤くしたA裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
「痛ましく悲しい事件だった。介護の苦しみ、絶望感は言葉では言い尽くせない。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことも祈り、母のためにも幸せに生きてください」裁判官が最後にこう励ましの言葉を語りかけると、「ありがとうございました」と頭を下げた被告。法廷には、傍聴人と検察官と被告のすすり泣く声が響き、法廷は悲しみにつつまれた。
献身的な介護ぶりなどから検察が異例の“情状陳述”をした京都地裁では、K被告に懲役2年6月、執行猶予3年を判決した。
罪状をあばくはずの検察が、冒頭陳述で介護をめぐる被告の孤独で過酷な生活、母を慈しむ心情と親子の絆など、逆に被告に有利にさえなる状況を包み隠さず再現し、傍聴人だけでなく、裁判官さえも涙を浮かべ聞き入り、さらにその後も証人から被告への同情証言が相次ぐ異例の展開で、注目を集めた裁判だった。
そして執行猶予の理由は、「命を奪った結果は取り返しがつかず重大だが、社会で生活する中で冥福を祈らせることが妥当」ということだった。K被告は、「母の介護はつらくはなかった。老いていく母がかわいかった」と語っている。
裁判官は、「献身的な介護を受け、最後は思い出の京都市内を案内してもらい、被告に感謝こそすれ決して恨みなど抱かず、厳罰も望んでいないだろう」と、母親の心情を推察。 半面、「公的支援が受けられず経済的に行き詰まった」と行政対応に苦言を呈した。被告は昨夏、何度か社会福祉事務所に生活保護の相談に行った。しかし「頑張って働いてください」などと門前払いされた。この対応に「被告が『死ねということか』と受け取ったのが本件の一因とも言える」と裁判官。「介護保険や生活保護行政のあり方も問われている」と強調した。
以上が、事件の内容です。殺人事件なのに私は涙がこぼれました。何かがおかしいですね。K被告は、人に迷惑をかける生き方はしたくない、という思いがとても強かった人だったそうです。それが裏目にでてしまった事件だと思います。
私は以前、ある方の薦めで、「お金のいらない国」(長島龍人著)という本(1.2.3巻)を読んでとても感銘を受けたことがあります。お金がないと幸せになれないのか、という視点をすべて覆す話なのですが、お金というものがなくても世界中が幸せになれる方法がここにはありました。
それは、すべての人が助け合うことです。昔の日本にはありましたね。みそが足らなくなったら隣から借りる。お米が足りなくなったらまた貸してあげる。まわりに困った人がいたら手を差し伸べる。人はそれぞれ得意なものとそうでないものを持っています。自分が好きなこと、得意なことを一生懸命やり、自分の足りない部分を補い、助け合って経済が回るなら、それが本当の幸せなユートピアの時代なのではないか、と私は考えています。それは銀行も保険会社もなんにもいらない時代なのです。
ぴあの屋ドットコム 石山
ご感想をいただきました
Yさん:
読んでいて涙が出てきました。
親を思う子の心、子を思う親の心がこのような形で終わらなければならないのは本当に悲しいですね。日本という国は本当に先進国で裕福な国なのでしょうか?
庶民の痛みを思いやることの出来る政治家がこんなに少なくてはまだまだいい国は作れませんね。
Sさん:
ホントに残念な事件です。
もし私がこの方の傍にいたら、何をしたでしょう・・・アパートのオーナーだったら? コンビニの店員だったら? 役所の人間だったら? 一体、何ができたでしょう・・・事務的な会話の中からは、何も見えてきません。
無力な私ですが、私に相談してみようと思われるような人間になりたい。
そして、全て解決できる人間になりたい。一人じゃ無理でも、みんなが助け合いの精神をもてば、できないことは何もないですね。
(私も義父と義祖母2人の介護に直面しています。この事件は決して人事ではありません。)
お金の要らない国、私も読みました。まさにこの国は地上天国ですね。これを読んだあと、お金が存在するがゆえに現在の社会が歪んでしまったように思え、持っているお金全部、捨ててしまってもいい!という衝動に駆られました。
はやくそんな地上天国が実現する日を目指し、最大限のできることをしたいです。
まずは、24時間笑顔かな!
Oさん:
介護制度の背景にある問題がこのように、不幸な結果を生んでいるのですね。
国は介護施設を増やさず、在宅介護に切り替える為の介護保険制度でした。
確かに施設介護より、身内の中で在宅介護の方が介護される方のとって、幸せなのかもしれませんが、それによって、かかって来る身体的経済的負担は相当なものです。
それを補うのが国であるはずが、国の政策は介護業者に甘い汁を吸わせるものでした。介護の現場をもっと国は知るべきです。
しかし、国はまた後期高齢者の保険制度を導入します。ますます日本は、姥捨て山化して行くのですね。
Kさん:
まーちゃん今の日本って弱者にとってとても厳しい国なのですね。これからは私達の手で少しでも良くして行きたいと思います。
Tさん:
政治家は、日本を住良い国にする責任があるにもかかわらず、私利私欲に走り税金をごまかし、不当な献金を当たり前にして、弱者には目を向けていない、地方行政も、本当に困っている人を助けてほしい。
Kさん:
ぴあの屋さん、こんにちは。いつも自分自身を見直していく機会のお話ありがとうございます。じっくり読ませて頂きました、私の家でも祖父が寝たきりになり、やがて15年以上自宅で家族一丸となって看病してきました、それまで両親が二人とも働きに出てました、しかし、それでは駄目でした、なぜなら祖父は体が大きく祖母一人ではとても無理でした、泣く泣く母が会社を辞めて看病する事になりました、とたんに生活は苦しくなりました。それでも何とか乗り越えていけました、なので今回のお話は人事ではありもせんでした、真面目が馬鹿を見る、悲しい現実ですね・・・
あと、よく国や役所が責められていますが、生まれたときからお金持ちで何の苦労も知らず、エスカレ−タ−式の用に大学を出て公務員になる!
もし自分がその人だったらどうでしょう?本当に弱い人の気持ちが 分かっているか・・と思うと怖くなりますね、私は誰も悪いとは思いません、ただ相手の気持ちや状況を経験していないから、そうするのだと思います、病気になった人は病人の気持ちがわかるように!
これからも感謝の気持ちを持って生きていきたいと思います。
Mさん:
私もこの報道はテレビを通じて知りました。本当に悲しい事件です。
家族の中に認知症の方がいて、このような問題を抱えている家庭は少なくないような気がします。私の家では、父方の祖父母が90歳を超え、二人とも認知症です。
はじめは8年前に祖母が認知症になり、祖父が一人で献身的な介護をしていました。しかし、二年半前に今度は祖父がそれにかかってしまいました。祖母は現在、実家のある長野の病院で、チューブに繋がれ、寝たきりの状態で今もなお認知症と戦っております。
祖父は、祖母の見舞いに行く途中交通事故に遭い、頭を強打し、その怪我が原因となって、認知症になりました。そして、東京の病院に入院しております。
二人ともに、天命を全うするまで入院生活を送っていくと思います。
幸いなことに、二人とも自分の年金で入院しているので、私の家族、父方の兄弟ともに、何の負担もなく生活しておりますが、この事件のケースのように息子さん自身の生活もままならない状態で、介護をしていくのは本当に大変かと思います。
この現状を、国がどう見ているのか。こういった悲しい事件を二度と繰り返してほしくないです。
今の日本の行く末を見るにつけ、高齢者にとっても、若い人にとっても、とても住みにくい日本になっていくのではないかという不安が拭い切れません。
Hさん:
辛いですね。。。涙が出ました。。。
介護の問題はこれから大変になるのに。。。政治家の方たちは、そして、キャリア官僚の方たちはどう思うのでしょう。。。
このままだと以前誰かが言ってましたが、一部の富裕層しか住めない日本になっていきそうです。骨太の改革、美しい国日本はいったい何だったのでしょう・・・。昔の政治家の方はもっと反骨精神があったような気もしますが、今は芸能界ばりのはやりすたりで日本の政治が流れていっているように感じます。
Rさん:
ま〜チャンは知ってますか? 私のは現場サイドの話
介護保険って すごく変ですよ
私は、自分がヘルパーであり 家族が利用者なので両方分かりますが
何が変って? つまりは、そこに介在するお金の流れです
例えば、浴用椅子を介護用品として購入すると1割は利用者が支払い 残り9割は介護保険からその事業主へ
金額にすると もっと びっくりですよ
\12000の椅子は\1200で利用者が購入 残り¥10800は介護保険から事業主へ
そこらへんのホームセンターなんかでは同じ物が¥3000前後ですから 介護用品として購入する意味はなんでしょかね?
もちろん、浴用椅子に限らず、すべての用品においてですよ
3年前に亡くなった義父に靴を買おうとしたところ 値段にびっくり
【コナン君】よろしく スーパーダッシュが出来る靴かい?って思いましたモン
それから、ヘルパーさんやら 介護施設でお風呂に入ったり この利用金額も 利用者は1割負担 9割は介護保険から事業主へ
では、金額に直しましょう
ヘルパーを1.5時間 生活援助の単位として利用すると¥2910になります
利用者は¥291を支払い 事業所は¥2619を介護保険から
そして、事業所により異なりますが 私の事業所ではヘルパー時給は生活援助で\1200 身体介護で¥1500(交通費含む 移動時間除く)ですからこの場合、事業所はヘルパーに¥1800 差額¥819が残る計算ですよね
そんな もんじゃない?って感じします?
では、身体介護1時間 生活援助1.5時間の組み合わせの利用は¥6510です 利用者は¥651 事業所は¥5859 ヘルパーへは¥3300 事業所の差額¥2559 って感じです
移動時間に取られれば?いったい何やってんだか??
現状 辞めていくヘルパーって多いかな
以前、朝7時半から1時間 身体介護があって しかも利用者宅まで
自宅から車で40分 この距離の往復のガソリン代と時間を使って
¥1500の仕事 朝の時間が時間なだけに私の家族がギクシャク………し始めて しかも、
早朝は1.5倍の利用料でヘルパーの時給もUPですよって ケアマネからの話で後で知る事になり ここでも決まりごとなのに、言ったもん勝ちの縮図が見えて嫌な気分に
程なくして 生活保護では介護の1割の負担もままならないと この利用者が断って来たとか ふ〜〜んって思いません?
ヘルパーは利用者の都合で急に忙しくなったり、失業したり
在宅介護を打ち出した国ですが………ってトコです
介護認定もホント変ですよ〜〜〜 聞きます?
ご要望があれば 次回に
Sさん:
↑↑↑
すごい現状ですね・・・知りませんでした。
我が家には完全寝たきりの義父(64)と
脳梗塞で動きにくくなった義祖母(84)の二人がいます。
入浴サービスと往診はお世話になっていますが、
自営業なもので、出来ることは義母と私とでやっています。
必要なグッズがあれば、
「まあ1割負担だから、買おうか(借りようか)・・・」
と思って、いろんなものを買いました。
負担金としては少ないですが、この疑問のあるお金の流れを知ってしまうと、
軽々しく購入できないですね。
そして、ヘルパーさんって、そんなに大変なものだとは
知りませんでした・・・
もっと、他に使うべきところに使うべきです。
これからますます高齢社会・・・ 不安だらけですね。
この事件を受けて、少しでも改善の方向に進んでくれれば
いいのですが・・・。
Rさん:
ま〜チャン 介護認定も変だよバージョンね
介護認定を取るのに市役所に行って申請を出し、後日市役所から調査の人が来るの
沢山の質問事項に利用者が一つ一つ答えていく訳なのですが、この質問に対してのポイントは、自立出来るか 出来ないかのどちらかを調べる事 出来るか・出来ないか のどっちかです
ここで問題なのは、利用者の答え方、調査員の捉え方ひとつで認定結果が全然が変わって来ると言う事
昭和一桁産まれの義母は、自分が日常生活で出来ない事が増えていく都度に罪悪感さえ感じてしまう人です この時代の人は大抵そうですね
こんな事は出来ますよね?って質問されれば、「はい」 って答えてしまいす
絶対に出来ない事でさえ、「少しでも出来る様に努力しています」 って頑張って答えてしまいます
義母は腰椎の圧迫骨折で腰に負担がかかる事は出来ません
5つある内の4つがすべて骨折により潰れていて、かろうじて残った1つの骨が彼女の直立歩行を支えている状態です
残り1つも骨折すると車椅子の生活を余儀なく…です
具体的に牛乳1リットル1本を持って歩けませんってトコでしょうか
寝具も布団から起きあがる事は不可能です
ベットのガードにつかまり時間をかけてやっと起きあがれる毎日
(家族はこの状態を手伝う事が出来ないのです 手伝う力のかけ方によっては、逆に激痛を伴う事になるからです ぎっくり腰をやったことがある人は分かると思います)