「これはおもしろくなりそうだ」
ダスキンでは、「これはおもしろくなりそうだ」というモットーをつくったことがあります。
これはどういうことかと申しますと、アメリカで、スピードを出し過ぎた若い青年がカーブを切りそこなって、停まっている車にぶつけるという事故が起こったんです。
その時にぶつけられた人が、その青年をつかまえて
「おれの停まっている車にぶつけやがって、けしからんじゃないか」
と言って怒ってもいいかもしれないのに、
「これはおもしろくなったな」
と言ったんです。いらいらして怒ってみても、すでに起こってしまった事件に対しては、けんかをしてみたところで始まらないんです。
「けがをしなかったか。けがをしなかったらいいじゃないか。後の処理は保険会社にまかそうじゃないか」
と言って、笑って問題を解決する。
新聞記者が飛んできて、事故が起こったというからどんなけんかになったかと思っていたら、
「これはおもしろくなりそうだ」と言ってにこにこして対応したので、どうしてそんな気持ちでいられるのかと聞くと、
「私は十六の年からこの青年のようによく働いた男だ。その自分がいつもけんかばかりしていた。
六十過ぎのこの年になってやっとわかったのは、けんかをしても問題の処理にならないということだ。
起こったことはもうどうにも取り返しがつかないけれども、それを笑って、これはおもしろくなりそうだと思って相手の話し合いをしたら、円満に解決がつくじゃないか。
これがおれの主義になった」
と。いやなこと、苦しいことが起こってくると自分で自分に、これはおもしろくなりそうだと言い聞かせるそうです。
ダスキンでは初期の時代に、毎晩残業が続きました。そうすると「これはおもしろくなりそうだ」と言って残業をするんです。
そうすると、残業してるのが本当におもしろくなってきます。しなきゃならない仕事なら、喜んでやろうじゃないかと。
「また今晩も残業か」
なんて言っていやいややっているのと、
「これはおもしろくなりそうだ」
と喜んでやるのとでは違ってくるのです。
(ギブ&ギブメルマガより転載させていただきました)