ぴあの屋ドットコムのスタッフとして
ピアノの金属磨き、ペダル磨きなどがんばってくれていた私の父が
先月、天に帰りました。
昭和10年生まれ。84歳でした。
若いスタッフと一緒にがんばってきましたが、
今年3月末から入院し、闘病の末還らぬ人となりました。
毎日のように仕事に来て、よく顔を合わせていましたから、
3年前に母が亡くなった時以上に、今回のショックは大きかったです。
父は熊本県菊池市出身の8人兄弟の末っ子でした。
中学校の時に木から落ちて目が見えなくなりました。
その時に、鹿児島県末吉町で有名な「やいと」治療をしているところを紹介され
そこで夏休みの1か月治療を受けたことで母と出会いました。
その時に母と恋に落ちたらしく、
20歳で大阪に出てくるときに母を連れて結婚至ったと聞いております。
そんな流れで私が昭和37年に生まれました。
母は音楽が好きで、もう3歳くらいのころからベートーベンやチャイコフスキーの
レコードを買ってくれて、ウルトラマンを聞くよりもベートーベンが好きな子供に
私は育っていきました。
父も、長距離トラックの運転手としてほとんど家にいないながらも
私のそんな環境を作ってくれていました。
トラックをおりたあと、私の会社で働くことになりました。
もともと几帳面で、自分の車もいつもピカピカに磨いていた性格から、
ピアノ磨きも、それはそれは丁寧な仕事をしてくれました。
この5年ほど、ぴあの屋ドットコムから出荷したほとんどのピアノの
蝶番やペダル、鍵の部分やブランドネームを磨いていたのは父です。
そんな熱心な仕事ぶりをみて、若い社員たちも刺激になったのではないかと思います。
父が亡くなる1週間ほど前に
もう意識のない状態の入院先のベットで、父の耳元でこう話しました。
「お父さん、今までありがとう。今日から出張で1週間戻れないからね。それまで待っててね。」
父の手を握り、
「もし、聞こえていたら手を握り返して」と言いましたが、
反応はありませんでした。
もう聞こえていないのか、とおもい2時間ほど父の横にすわっていろいろと語りかけた後、
出張に出発しました。
そして出張から戻り午前、病院に駆けつけて主治医の話を聞きました。
「すでに下顎呼吸に入って、痛みに対する反応もなくなっています。今日か明日という状態ですから、ご家族をそろそろ呼ばれた方がいいと思います」。
そして父の病室に行きました。
「お父さん、帰ってきたよ。待たせたね」と声をかけた途端に、血圧が下がり始め、心拍数が弱ってきました。
医師や看護師さんが駆けつけてきました。すぐに家族に「大至急来て!」と電話している間に、みるみる呼吸が浅くなっていきました。
そして心停止。私が父の側に到着した10分後でした。
父は約束を守ってくれました。私が来るのを待っていました。
肺の病気で、とにかく呼吸に苦しみました。
若い時のタバコが原因のようだ、と主治医は言っていました。
でも、好きだったものですからそれはもう仕方ありません。
父の葬儀には、10歳年上の姉(94歳)も駆けつけてくれました。
「ほうしゃん(父の兄弟でのあだ名)、あんた小さいころはコロコロしとって私がずっとおんぶしとったなぁ。ほうしゃんが先に逝ってしもうて、寂しいなるな~」と語りかけていました。
父は3度の奇跡を生き延びて、4度目は私が帰ってくるのを待って10分後に天に帰りました。
これで奇跡はもう終わりだと思っていました。
でも、さらに5度目の奇跡が起こりました。
葬儀屋さんに頼んできてもらった僧侶。
なんと、父の熊本の実家が檀家であるお寺の長男さんだったのです。
父も法事のたびにこのお寺にいっていたはず。弟は西本願寺で修行中だそうです。
本家から親戚もきていましたがびっくり!この長男さんのお父さんは本当によく知っている住職さんです。
熊本のお寺と同じ関係者に京都でお世話になるなんて。
お通夜はその京都のお寺の住職さんだったのですが、葬儀は都合が悪くなり、そのお寺で修行中だった副住職であるその方が来ました。
コンビニの数よりも多いといわれている神社仏閣。こんな偶然はありえないことです。
私のところは、特にどこのお寺の檀家というわけではなかったのですが、
今週末に行う四十九日法要もこのお坊さんお願いすることにしました。
強運の持ち主の父は、最後の最後まで私たち家族にサプライズを届けてくれました。
今ごろ、空から「ニヤリ」と笑っていると思います。
そんなことで、私が父の病気や葬儀そのほかいろんなことが
私が留守の間も、ぴあの屋ドットコムスタッフが本当によく頑張ってくれました。
できるだけ私もかかわれるように、あいた時間にユーチューブライブ動画をだしたり
いろいろとしてきましたが、四十九日すぎましたら、もう少し皆さんといろいろやりとりできるかと思います。
ぴあの屋ドットコムの業務には関係なく
このブログに出すかどうかを迷いましたが、
多くの人から愛された父のご報告をしておきたいと思います。
皆様、ありがとうございました。
☆ぴあの屋まーちゃん☆