心の窓 「瑛太の夢」

「瑛太の夢」

気仙沼に50代の千葉さんと言う人がいます。
あの震災で家族7人を失いました。
そして小学生の瑛太と二人きりになりました。
7人と言うのは瑛大の5歳と3歳の妹、瑛大のお母さん、つまり千葉さんの奥さんです。
その奥さんの妹さんと子供、そして奥さんのご両親の7人です。

唯一生き残った子供、瑛太の夢はプロ野球選手になることでした。
しかし気仙沼に唯一あったバッティングセンターが津波でなくなってしまいました。
そこで瑛太は「僕が建てる!」と言い出したのです。

千葉さんの仕事は牛乳販売店なんですが、お父さんの後ろ姿を見て育った瑛太は
「僕はヨーグルトを売ってバッティングセンターを再建させる」
と言い出しました。
それで待ちゆく人たちに
「僕が家の軒先まで届けるので注文してくれませんか。ぼくはバッティングセンターを再建させたいんです」
と声かけていくのです。
そんな夢を語っても大人たちは「絶対に無理!」といいます。

でも瑛太は本気だったんです。
その瑛太の想いが人から人へと伝わっていくうちに、元ソフトバンクホークスの小久保裕紀(ひろき)さんのところまで伝わっていきました。
小久保選手は、なんとかその夢をかなえてやりたい」って思ったんですね。
プロ野球選手ほど、バッティングセンターで山ほど練習してきた人はいませんからね。

そして瑛太は「気仙沼に何か復興のシンボルができれば」と作文に書きました。
それがある作家さんによって本になり、その本の帯に小久保選手が推薦文を書いてくれました。

それでプロ野球選手たちからの多大なる支援が集まって、2年後に「気仙沼フェニックスバッティングセンター」が完成したのです。
フェニックスとは不死鳥と言う意味です。
しかし地元の人はそう呼ばずに、小学生がヨーグルトを売って作ったバッティングセンターだから、
「ヨーグルトバッティングセンター」と呼んでいます。

行ってみると打席数はたった7席でした。
なぜ7席かと聞くと、亡くなった家族の人数分んなんです。
打席に番号が振ってあるのですが、普通は1番、2番とふっていくのですが、いきなり37番があります。
それは瑛大の亡くなったお母さんが美奈子さんだったのでその「みな」を数字にしてつけたそうです。

瑛太はその後、高校野球の強豪校に入学するのですが、あまりにも体格の大きな1年生がたくさんいるのを見た瞬間、方向転換します。
そして必死に勉強して、イギリスのオクスフォード大学とケンブリッジ大学の両方に合格しました。

「僕は亡くなった妹たちを含めた7人分の人生を生きるんだ。7人分、世界に役立つ人間んいなる」
と瑛太は語ります。

<出典:日本講演新聞2021年3月8日号より抜粋>


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マーちゃん

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ぴあの屋ドットコム代表 ピアノを弾く時にはリチャード石山と言われています。
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