「生きることは捨てること 捨てることは生きること」
木の枝が半分折れて風に揺れています。秋が来ました。緑の葉っぱは徐々に色づき、やがて木からはなれて落ち始めました。枝が生きているからこそ、葉を落としそれが土に還って木々の栄養として吸い上げられ、やがて葉として再び生まれ変わるのです。
ところが、折れた枝に付いた葉はいつまでも落ちません。他の葉は全て落ちてもいつもまでも枝に付いたままです。つまり、死んだ枝は葉を落とすこともできないのです。生きているからこそ、葉を落とすことができる。それは次へのステップのためなのです。
人間は、いつまでも自分のものを離そうとしません。一旦得たものはいつまでも所有したいという欲望があります。これを執着といいます。コップの水が半分に減らないと、新しい水をそそぐことができないように、手を離さないと新しいものは得ることができないのです。
面白い実験があります。サルを捕まえることはカンタンだそうです。手がやっと入る箱の中にバナナを入れておきます。サルはそれを取ろうと箱の中に手を入れます。しかし、バナナをつかむと手が引っかかって抜けないのです。サルは必死にそのバナナを取り出そうとキーキー言っていつまでも離そうとしません。そこを後ろから歩み寄って頭に袋をかぶせて捕まえるそうです。
人間も同じことをしていませんか? この世に自分のものなんて一つもありません。自分の肉体だって最後にはリン酸カルシウムやCO2となって地球に返さないといけないのです。いつまでも古いものにしがみついて離そうとせず、新しいチャンスを逃していませんか。
唯一自分のものといえるものは、あなたの「心」です。その心は汚れていませんか。人生が終わったとき、汚れたままで帰っていってもいいのですか。せっかくこの世に生まれたのですから、きれいにして帰りたいと私は思います。
「ありがとうと言われる人生」は、どんな「物」を得ることよりも大きな喜びを得ることができます。さあ、これから一緒に魂を磨いていきましょう。
※このメルマガ「心の窓」は、特定の思想や宗教を奨励するものではありません。転送は自由です。
ぴあの屋ドットコム 石山
ご感想をいただきました。
Oさん:
心に残る、染み入るお言葉を頂戴しました。
僕は、お気楽で何も考えてないですが、ありがとう、は言っても言われても良い、人間の姿ですね。「どうも」だけの挨拶、絶滅運動!? 大げさですが、どうも、のあとの言葉を大切にしていきたいものです。
Kさん:
私も、これからもっともっと心を磨いていくつもりです。
私の、座右の銘というか心のあり方は石山さんから伝授していただいた、『うんこと蝿…』花になるよう心掛けているつもりです。
「このやろう~」とか「どうして、こんな事に…」と思ったとき、いつも『うんこになっちゃ、だめ』と自分に言い聞かせながら、日々過ごしております・・・
またまた、心にしみるお話ありがとうございます。
Aさん:
生きることは捨てること。昨日日曜日掃除しながらメール読ませて頂きながら、捨てられない悲しさを痛感しました。ああーなにもかもすっきりしたい今日この頃です。素敵なメールありがとうございました。