バスと赤ちゃん
ピアノ調律師仲間からいただいたお話です。どうぞ、お読みください。
■東京の12月も半ば過ぎたころの話です。私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。
その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。昼近くになって、病院の診察を終え、バス停からいつものようにバスに乗りました。
バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。社内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどでした。
まもなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分、病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り、あっという間に満員になってしまいました。
立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。バスが静かに走り出したとき、後方から赤ちゃんの火のついたような泣き声が聞こえました。
私には見えませんでしたが、ギュウギュウ詰めのバスと人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく、泣く以外方法がなかったのだと思えました。
泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向い走っていました。バスが次のバス停に着いた時、何人かが降り始めました。
最後の人が降りる時、後方から、「待ってください 降ります」と、若い女の人の声が聞こえました。
その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。その時、私は、子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、とわかりました。
そのお母さんが運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと運転手さんは「目的地はどこまでですか?」と聞いています。
その女性は気の毒そうに小さな声で、「新宿駅まで行きたいのですが、子どもが泣くので、ここで降ります」、と答えました。
すると運転手さんは、「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗っていってください」と、その女性に話しました。
そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが、赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りるといっています。子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」
と、言いました
私はどうしていいかわからず、多分皆もそうだったと思いますが、ほんの数秒かが過ぎた時、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました。
今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、心にしみる思い出です。