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心の窓 「ジミー大西の切ない初恋のお話し」

【ジミー大西の切ない初恋のお話】

今、僕は三十二歳です。彼女はいません。でも、その三十二年間に恋はしました。
初恋も。
小学校三年の時でした。
小学校の二年生まで、僕は友達にも父母にも、まったく口をきかない少年でした。
話が、できない少年でした。そんな僕が、話をできる相手が一人だけいました。

その女の子がしゃべりかけてくると、その時だけは、しゃべれるのです。その子が、
初恋の人でした。

僕はその女の子としか、しゃべれなかったのです。ほかの子がしゃべりかけてきても、まったくしゃべれなかったのです。
僕はその子としか、遊ぶことができませんでした。その子はみんなと仲よく遊んだり、しゃべったりしていたけれど。
僕はいつも、ひとりぼっちでした。みんなの輪の中には、入れなかったのです。
輪の中に入ろうとも思いませんでした。

でも、みんなで、花いちもんめをする時だけは別でした。その初恋の子が、僕の手をひっぱって、輪の中に入れてくれたからです。
終わりはいつもいっしょでした。僕一人だけ残って、

「花いちもんめ、まきさんがほしい」
と、その子の名を言う。

「花いちもんめ、大西君はいらない」
それで終わりでした。

でも、まきさんは、
「花いちもんめ、大西君がほしい」
と、僕の国語のノートに書いてくれていたのです。

僕はそれからずーっと、まきさんのことが好きで好きでたまらなくなり、遠足の時でも、まきさんのそばから離れなくなりました。ほかの子からは、
「大西君、女の子どうしでごはん食べているから、むこうに行って食べて」
と言われても、ぜったいにまきさんのそばから離れませんでした。

それから、朝の朝礼の時でも、本当は背の低い僕は前から二番目に立っていなくてはいけないのですが、真ん中のほうへ行って、まきさんのよこに立っていました。みんなから、

「大西、いつからそんなに背が高くなってん」

と、背中とかつねられても、その場所から離れませんでした。

先生にも怒られましたが、次の朝礼の時には、また、まきさんのよこに立っていました。
僕は本当に、まきさんのことが好きだったのです。
そして、長い夏休みに入りました。

その夏休み、僕は何回か、まきさんの家をたずねました。でも、いつもみんな出かけていて、誰もいませんでした。たまにおばちゃんが出てきて、

「いなかに帰っているの」

と言ってくれるだけで、まきさんとは、夏休み中、会えなかったのです。
いよいよ夏休みも終わり新学期が始まる日、僕は母の化粧水を服につけて学校へ行きました。まきさんと会える、と思ったからです。

でも、まきさんは学校に来ていませんでした。
僕は、「明日は会える」「明日は会える」と思って、母の化粧水を服につけて、学校へ行きました。
でも、まきさんは来ませんでした。

夏休みは終わったのに、まきさんは学校には来ませんでした。

そして九月十六日の朝のことでした。先生が、
「実は悲しいお知らせがあります。昨日、まきさんは病気のため、お亡くなりになりました。みんな、目を閉じて」
と言うのです。僕は、何の意味かわかりませんでした。

先生に聞いたら、先生は、
「まきさんは死んでしまったのです」
と言うのです。僕は生まれてから、この時まで、知っている人が死ぬことがなかったので、人が死んでも、また会えるとばかり思ってました。

みんなでお葬式に行くことになって、教室に集まっていると、まきさんが教室の外の廊下のところに立って、僕を見て笑っているのです。僕が、

「まきさん。まきさん」

とさけぶと、みんなから、
「きもちわるー」
と言われました。
おそらく、幽霊を見たのは、あの時が最初で最後だと思います。

それから、みんなと葬式に行きました。それまで、葬式と言えばタダでお菓子をもらえるところだとばっかり思っていました。

でも、まきさんの葬式では、お菓子をもらってもうれしくなかったし、食べようと思ってものどに通らない。

--まだ、会えるような気がしてたまらなかったのです。

そして次の日、学校に行くと、まきさんのつくえの上に花がかざってありました。
僕はみんなが帰ってから、一人だけのこって、まきさんのつくえにすわり、まきさんが国語のノートに、

「花いちもんめ、大西君がほしい」

と、書いていてくれたことを思い出してました。

そして次の日から、だれよりも早く教室に行って、花の水をかえて、一度家に帰って、それからみんなといっしょに登校することを始めました。

僕はその日から、そのことがバレるのがこわくて、みんなにむりしてでもしゃべりかけるようになりました。

それで、人としゃべれるようになったのです。

毎日、毎日、花の水をかえていました。

花がかれかかったら、自転単に乗ってしぎ山の下まで行って、雑草の色のきれいなのを三本ほど抜いて、かびんに入れてやりました。クラスのみんなは、
「花がかってにふえている」
とか言うので、もしバレたらどうしようと思っていました。

そうしたら、先生が、
「みんなが帰ったあと、先生が花をいけているのです」
と言ってくれたのでホッとしました。

そしてクリスマスイブの日、先生に職員室によばれて、
「大西君がまきさんの花をいけていることは、だいぶん前からわかっていたのよ」
と言われたんです。

僕は、はずかしくてたまりませんでした。先生は、
「この二学期で、つくえの上に花をかざるのはやめて、席替えをしようと思っているの。いい? 大西君」
と言いました。僕は、首を、たてにふりました。

二学期最後の席替えをしたら、前にまきさんが使っていたつくえに、偶然、僕がすわることになりました。

つくえの中を見ると、奥のほうにハンカチが残っていました。

おそらく、まきさんのハンカチだと思います。僕はそのハンカチを、小学校を卒業する時まで、ずーっと持ってました。

これが、僕の初恋でした。

(フェイスブック投稿より転載)


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心の窓 「エジソンの母の魔法の言葉」

「エジソンの母の魔法の言葉」

トーマス・エジソン7歳のとき、学校の先生から1通の手紙を預り母に渡しました。
母はその内容を読んで涙が止まりませんでした。トーマスは母に聞きました。

「ママはなんで、そんなに泣いてるの」

母は手紙の内容をトーマスに伝えました。
「凄いの~学校からの手紙は、あなたの子どもは天才すぎるので、この学校の先生では能力不足なので、どうぞ、他の学校に転校してくださいと書いてあるの」

それから、母はトーマスを学校にいかさずに、家で一所懸命勉強を教えました。そして、後にあの天才発明王トーマス・A・エジソンが誕生したのです。

母が亡くなったある日、トーマスは遺品を整理しているときに、偶然その学校からの手紙を発見したのです。
そこに書いてある内容は。

「あなたの子どもは精神的な変人の異常者であるため、この学校にはおけません。ぜひ、よい精神病院に入れてください」


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心の窓 「自分の命とひきかえに」

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「自分の生命とひきかえに」

 東井義雄(教育者)
『自分を育てるのは自分』より
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 表には出ない、無言の愛情。
 日本には、子どものために、その2度とない人生を
 必死で生きた無名の母たちがいる。
 その例として紹介するのはあまりにもつらい話です。
 しかし、母親のあり方の原点がここにあります。

 長崎に原子爆弾が落ちましたときの、
 荻野美智子ちゃん(10歳)の作文です。

 *****************************

 雲もなく、からりと晴れたその日であった。
 私たち兄弟は、家の二階で、
 ままごとをして遊んでいた。
 お母さんは畠へなすを捥ぎに行った。
 出かけに、11時になったら、
 ひちりんに火をおこしなさいよ、と言いつけて行った。
 けれども、私たちは遊びが面白いので、
 時計が11時になったのに、1人も腰を上げず、
 やっぱりままごとに夢中になっていた。

 その時、ピカリと稲妻が走った。
 あっと言うた時はもう家の下敷になって、
 身動き一つできなかった。

 何とかして出ようとすればするほど苦しくなる。
 じっと外の様子をうかがうより仕方がなかった。
 2人の姉の姿が外に見えた。
 大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。
 姉たちは、すぐ走り寄って来て、私を助け出そうとした。
 しかし土壁の木舞いの組んだのが間をさえぎっていて、
 押しても引いてものけられなかった。
 大きい姉が、
 「我慢しろ。
  ねえ、もうじきお母ちゃんもお父ちゃんも
  帰ってくるけんね。
  姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね。」
 
 励ましておいて、向こうへ走って行った。
 私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、
 わずかばかり見えてる外を、必死に見つめて、
 お母ちゃんが来るかお父ちゃんが来るかと待っていた。

 やがて、大きい姉ちゃんが、水兵さんを
 4、5人連れて走って来た。
 その人々の力で、私は助け出された。
 フラフラよろめき、防空壕の方へ行こうとした。
 
 家の下から、助けてえ助けてえと叫ぶ声が洩れてきた。
 弟の声であった。
 大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、
 沢山の瓦を取りのけて、弟を引き出した。
 
 その時、また向こうのほうで、
 小さな子の泣き声が洩れてきた。
 それは二つになる妹が、家の下敷になっているのであった。
 急いで行ってみると、妹は大きな梁に足を挟まれて、
 泣き狂っている。

 4、5人の水兵さんが、みんな力を合せて、
 それを取りのけようとしたが、
 梁は4本つづきの大きなもので、びくともしない。
 挟まれている足が痛いので
 妹が両手をばたつかせて泣きもがいている。
 水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
 よその人が水平さんたちの加勢を頼みに来たので、
 水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。
 
 お母さんは、何をまごまごしてるんだろう、
 早く早く帰って下さい。
 妹の足がちぎれてしまうのに。
 
 私はすっかり困ってしまい、
 ただ背伸びして、あたりを見まわしているばっかりだった。

 その時、向こうから矢のように走って来る人が目についた。
 頭の髪の毛が乱れている。
 女の人だ。
 裸らしい。
 むらさきの体。
 大きな声を掛けて、
 私たちに呼びかけた。

 ああ、それがお母さんでした。

「お母ちゃん!」
 
 私たちも大声で呼んだ。
 あちこちで火の手があがり始めた。
 隣りのおじさんがどこからか現われて、
 妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、
 うんうん力んでみたけど、
 梁はやっぱり動かない。
 おじさんはがっかりしたように大きい溜息をついて
「あきらめんばしかたのなか。」

 いかにも申し訳なさそうに言って、
 おじぎをしてから向こうへ行ってしまった。
 
 火がすぐ近くで燃えあがった。
 お母さんの顔が真青に変わった。
 お母さんは小さい妹を見下している。
 妹の小さい目が下から見上げている。
 お母さんは、ずっと目を動かして、
 梁の重なり方をみまわした。
 やがて、わずかな隙間に身を入れ、
 1ヶ所を右肩にあて、
 下くちびるをうんとかみしめると、
「ウウウ……」
 と全身に力を込めた。

 パリパリと音がして、梁が浮きあがった。
 妹の足がはずれた。
 大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
 お母さんも飛びあがって来た。
 そして、妹を胸にかたく抱き締めた。
 
 しばらくしてから思い出したように私たちは、
 大声をあげて泣き始めた。

 お母さんはその声を聞くと、
 気がぬけたのか、そのままそこへ、
 へなへなと腰をおろしてしまった。

 お母さんは、なすをもいでいる時、
 爆弾にやられたのだ。

 上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、
 ほとんど裸になっていた。
 髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように
 赤く縮れていた。

 体中の皮は大火傷で、ジュルジュルになっていた。
 さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
 皮がペロリと剥げて、肉が現われ、
 赤い血がしきりににじみ出ていた。

 お母さんはぐったりとなって倒れた。
 お母さんは苦しみ始め、
 悶え悶えてその晩死にました。

*****************************

 これは、特別力持ちのお母さんだったでしょうか。

 4人も5人もの水兵さんが、力を合せても、
 びくともしないものを動かす、
 力持ちのお母さんだったでしょうか。

 皆さんのお母さんも
 皆さんがこのようになったらこうせずにおれない。
 しかもこの力が出てくださるのが
 お母さんという方なんです。

 そして、女子の皆さんは、
 やがてこういうお母さんに
 なってくれなけりゃあならんのです。
 
 女になることはいいかげんなことじゃないんです。
 どうか仏様が願って下さってるような、
 女の子になってください。

 
 男というのは何が男であるのか。
 どうか男であることを粗末にしないように、
 男の人生というのを切り開いてみせて下さい。

「自分の生命とひきかえに……」
 東井義雄/『自分を育てるのは自分』より

(シェア自由と記載されたネット投稿より)


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心の窓 「億万長者になった花屋の話」

「億万長者になった花屋の話」

若い花屋が思いついた。
飲み屋街のクラブのママさんにこう持ちかけたのだ。

「毎日無料でカウンターフラワーを
 お届けしますが、いかがですか?」

はじめは訝っていたママ達も、
花屋の戦略を聞いて納得。

結果、短期間に
100軒の飲み屋さんと契約を結ぶ。

100軒の契約実績を持って、
今度はタクシー会社の社長に。

「毎晩のように100軒の飲み屋さんから、
 酔客をご紹介いただけますよ」

タクシー会社社長は大喜び。

「その代わり、飲み屋さんに
 飾る花の代金をお願いします。」

毎晩、確実にお客様を確保できるなら、
花代は安い。

タクシー会社との契約は成立した。

もちろん、100軒の飲み屋さんには、

「タクシーのご用命は、
 必ずこのタクシー会社にお願いします。」

と言ってある。

結果、100軒のクラブに
花を収めることになった若者は、

その後も、そのユニークな発想を
駆使して成功者となった。

タクシー会社のメリットは、
日々100軒の依頼が舞い込む可能性があること。

クラブのメリットは、
美しい花が無料で届くこと。

そして若者は、
関わる人から感謝と報酬をもらう。

結局、花代は誰が支払っていることになるか?

そう、酔客。

しかし彼らもまた、
迅速なタクシーを手配してくれる
ママに感謝しているはずだから、

それは、みんなが幸せになるセットアップだった。


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心の窓 「朝がくると」

「朝がくると」 詩人:まど みちお

朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない
水道で 顔をあらうと

ぼくが作ったものでもない
洋服を きて

ぼくが作ったものでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる

それから ぼくが作ったものでもない
本やノートを

ぼくが作ったものでもない
ランドセルに つめて
せなかに しょって

さて ぼくが作ったものでもない
靴を はくと
たったか たったか でかけていく

ぼくが作ったものでもない
道路を

ぼくが作ったものでもない
学校へと

ああ なんのために

いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが
できるように なるために

***************************************

これは今から35年以上前に発表された詩です。

人はなんのために生きているの?
という答えがここにあるような気がします。


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