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心の窓 「サイオンスの法則とメラビアンの法則」

私の友人のブログから、許可をもらって転載させていただきました。
以下転載です。

今日はね、
サイオンスの法則(ザイオンス効果)と言うのを
教えるね。

これはね、
単純接触効果とも呼ばれるんだけど、
人間のある対象の好感度は
その対象との接触回数に依存する
って言うものなんだ。

ちょっと難しかったかな?

あのね・・
例えば、クラスメートを好きになっちゃうことが
この法則に当てはまる部分があるのね。

初めは、別に好意などを寄せてなかったけど
毎日会って、毎日接触しているうちに
だんだん好きになって行っちゃうって言う感じ。
わかる?

同僚でも、上司でも、
流行りの歌でもそうだけど
たくさん会ったり、観たり、聴いたりしていると
好きになっていくってって事なの。

だから君が、なんとなくいいな~って思っている人がいたら
積極的に会う回数、接触する回数を増やすのが効果的。

メラビアンの法則と一緒に
是非覚えておいてね。

ただ・・・
これは注意が必要で
直感で感じるメラビアンの法則と違って
ある意味だんだん洗脳されるというか
教育されるというか・・・はまっていくというか・・
そういうのがあるので、間違った方向に行くと
あとになって・・・
何でこんな人を好きになっちゃったんだろう?
って我に帰る様な事もあるので
気をつけてね。

メラビアンの法則について話すね。

第一印象の法則と言ってもいいかな・・・

あのね・・・
第一印象は
視覚的情報から55%
聴覚的情報から38%
言葉の情報から7%
伝わって成立するんだそうだ。

つまり、見た目であったり行動であったり
仕草であったり・・・相手の目で捕える情報で
君の印象が決定されてしまうって事。

君の声や話の内容よりもはるかに
見た目や仕草が印象を決定づけるって事。

これはね・・・凄く大事な事だから覚えておいてね。
第一印象で好印象を残すと
相手は君のいいところを探そうとする。

逆に印象が悪いと、悪いところばかり探して
印象の悪い理由を多くしようとするんだ。

そして・・・もっと気にして欲しいのは
第一印象はたった15秒で決まっちゃうって事。

これから就職活動する人は絶対忘れてはいけない内容だよ。
出会いはワンチャンスオンリーだと僕は思っているの。

初めに、いい印象を持ってもらえると
いい人、優しい人、素敵な人、親切な人・・・
って言う感じで、君のことを全然知らないのに
そうやっていい方向に君の像を作り上げてくれるんだよ。

凄くない??
凄いよね。

君の全てを知ってるわけじゃないのに
君の心を覗くことも、君の性格や過去を知ってるわけでもないのに
勝手にいい人に仕立て上げてくれるんだよ。

ははは・・・
第一印象って凄く大事なんだよ。


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心の窓 「パパからのメッセージ」

これは実話です。
是非、お読みください。

「パパからのメッセージ」

私はつい先日に同い年(21歳)の彼と結婚しました。

12月には長男が産まれます。

まず私の大好きなパパの紹介をさせて下さい。

私のパパは同い年のママと19歳の時に結婚して、その年の冬に私を産みました。

いわゆる出来ちゃった結婚ですね(笑)

パパは高校へは行かずに、16歳の頃からバイクのレーサーを目指していたみたいですが、怪我でプロの夢は諦めたみたいです。

そんなバイクが大好きなパパが選んだ仕事がバイクで書類を配送する仕事でした。(当時はテレビ局のプレス(?)と私には言っていました。)

ママと結婚する時に、両方の両親からは大反対されたみたいです。

普通に考えて、家族を支える仕事としては、事故とか心配になりますよね。

でもパパはママの両親に

「自分は命を懸けて仕事をして、命を懸けて家族を守るんです!それが自分なんです!」

と言って反対を押し切ってママと結婚したそうです。

でもそんな言葉が無残にも現実になってしまったんです。

パパは休みの日は絶対に私と遊んでくれました。

ご飯も一緒に家族全員で食べていました。

私のワガママも全部聞いてくれて、私が自転車の練習を始めた頃(4歳)には朝から夕方までずっと公園で一緒に練習してくれました。

雨でも晴れでも雷が鳴っても、絶対に保育園に迎えに来てくれました。

亡くなる前は、パパと毎日お風呂に入って、パパの細い腕枕で寝ていました。

忘れもしません。私が5歳、弟が3歳のパパが24歳の誕生日でした。

久しぶりに行ったツーリングの途中でガードレールにぶつかって、亡くなりました。

体を強く打って、即死だったみたいです。

病院に行った時に見た、白い布(?)を取ったパパの顔は、綺麗で、不思議な事に笑っていました。

幼かった私は「死ぬ」という意味が理解出来ずに、ただずっと泣いているママと、パパとママの親族、白い布で顔を隠した、暗い部屋に寝ているパパを弟と不思議そうに見ていた記憶を鮮明に覚えています。

でも亡くなってからお葬式が終わるまでは不思議と泣いた記憶がないんです。

パパにもう会えなくなるのは祖父母から聞いて多少理解していましたが、実感がなかった気がします。

お葬式が終わって、普通の生活に戻り、毎日迎えに来るパパが保育園に来ないで、迎えに来たママと弟に

「なんで今日はパパは来ないの?」

と聞いた時に

「パパはお空に行ったんだよ。

これからはママと春樹と3人で

一緒に暮らすんだよ。

パパはもういないんだよ。」

と目を真っ赤にしたママに言われて

「やぁだ~。

今日も明日もパパとバイクで帰って

パパと一緒にお風呂に入るの~!!

パパとまた会えるの~!!」

と言ってその日はずっとパパの写真を握り締めて泣きながら寝ました。

私はその後の16年間、ずっとパパは事故で死んだんだと思っていました。

結婚式前日。

私は、式中に見えたら泣いてしまうので、

「パパの遺影は最後の手紙まで、

パパの席に置いておいてね!

パパも私が笑ってる顔が1番

好きだったから!」

とママに伝えました。

ママは

「OK。明日は頑張ってね!

パパも天国から見てくれてるよ!

泣くなよ!Fight夏海!」

とすぐにメールを返信してきました。

この時点で私は泣きそうでしたが、翌日の式に読む、両親への感謝の手紙を書きました。

ママに読む文章は、凄い長く書きました。でもそれ以上にパパに読む文はママの倍以上書きました。

そして翌日、ついに式が始まります。お互いの友達や親戚、旦那の職場の人達、こじんまりした、手作りの結婚式でしたが本当に温かい結婚式が進んでいきました。

そしてついにフィナーレの両親への手紙を読む時がきました。

司会も私の友達にお願いしていて、

「さあ、ここで新婦から両親への手紙です。

ご両家のお父様、お母様、新婦様の前へ

お願いします。

笑顔で感謝の気持ちを伝えましょう!」

旦那の義父母に挨拶をして、ママへの手紙を読みます。

本当に号泣でした。

ママへの文章が終わり、パパへの文章の手紙を手に取ります。

「パパへ・・・、パパは・・・

パパは私に凄い優しくて・・・」

言葉が詰まりました。

あんなにたくさんたくさん書いたのに・・・。

ママの手にはパパの遺影。

ママの大粒の涙がパパの遺影に落ちて、まるで遺影のパパが泣いているみたいでした。

「パパ・・・、パパ・・・、

・・・・・」

ふと司会の友達を見ると、

「何分でも何時間でも時間をかけていい!

天国の大好きなパパに気持ちを伝えろ!

頑張れ!」

とカンペが出ていました。

振り絞って声を出しました。

「パパ・・・、ずっとずっと大好き

です・・・。パパ・・・」

もう何も言えませんでした。

伝えたい事はたくさんあるのに・・。

そんな時です!

「なっちゃん!なっちゃ~ん!」

「えっ?パパの声???」

幻聴かと思いました。

司会の友達が、

「さぁ~ここで、サプライズです!

新婦のお父様から天国よりお祝いの

メッセージが届いて・・・届いており・・・

ますので・・・み、皆様も正面の

大型ビジョンを、ご、ご覧下さい・・・。」

司会の友達も泣いていました。

私は訳もわからず大型ビジョンに目を向けると、そこには大好きだった亡くなる前のパパの姿が映っていました。

気付くとママが横にいて、ギュッと手を握り、

「目そらしちゃダメだよ!」

なぜか、パパは病院のベットで当時お気に入り

だった、アディダスのジャージ姿で映っていました。

「ママ?話してい~い?」

「もう始まってるんだけど(笑)

早く言いなよ!」

懐かしい・・・。パパの声だ・・・。

「えぇ~、なっちゃん!

結婚おめでとう!」

私はこの時、まったく意味がわかりませんでした。

「えぇ~、なっちゃん!

結婚おめでとう!

大人になったなっちゃんはママに

似て美人になってるかな?」

この時私は横にいたママに

「なんで?なんで?」

と何回も聞きましたが、号泣してるママに頭をビジョンにグッと向けられて、

「黙って見る!」

と怒られました。

「なっちゃん、パパは今、病気と闘ってます。

なっちゃんはまだ小さいからわからない

かもしれないけど、パパの病気はとっても

大変な病気みたいです。

なっちゃんが大きくなるまで一緒に

いれないかもしれません。

ふぅ~・・・。

パパは、なっちゃんが大好きです!

本当に大好きで大好きで、すっごい

大事なパパの宝物です。

なっちゃん・・・たくさんワガママ

言うけど、パパ、なっちゃんの事

 大好きだからなんでもワガママ

 聞いてあげたい!

 でもね、でもね・・・

 次になっちゃんがお願いするワガママは

 パパ、聞いてあげれないかもしれない・・・。

 グスッ・・・・。

 ママ~!泣くなよ!

 笑顔で撮るって約束したじゃん!

 ほらっ笑って!映しちゃうぞ~!」

「やめてよ~・・・グスッ・・。」

ママも若い・・・。懐かしい・・・・。

「なっちゃん!

 パパは病気で、あと、どんくらいかなぁ~?、

 なんて言えばなっちゃんには伝わるかな~?

 ・・・あと、なっちゃんが30回パパと

 一緒に寝るぐらいしか出来ないんだって!

 でも、お薬飲めばもっともっとなっちゃんと

 春樹と一緒にお話たくさんできるみたいだけど、

 会えるのはお家じゃなくて病院みたい。

 そんなのパパは嫌だから、お薬飲まないで

 なっちゃんと春樹とママとお家にいる!

 なっちゃんは毎日ワガママ言うけど、

 パパも最後になっちゃんにワガママ言わせて!」

一回映像が止まりました。

ママが司会の友達からマイクを受け取り、話し始めました。

「本日はこのようなサプライズ企画をして

 いただきまして、ありがとうございました。

 私の旦那、新婦の父親は事故で亡くなりましたが、

 実はそれ以前に末期ガンだったのです。

 亡くなる前に「大好きな夏海と春樹の為に

 結婚式のスピーチビデオを撮らせろ!」

 と希望を受けまして残しておりました。

 そして大好きなバイクに、亡くなる前に

 もう一度乗りたいとの希望で、お友達様方と

 一緒に出掛けた際に発作が起き、事故を

 起こしまして亡くなりました。

 お祝いの席でこのような暗いお話はと

 お伝えましたが、新郎の彰君からの提案で

 このような場を設けさしていただきました。

 本当にありがとうございます。

 申し訳ありませんが、もうしばらくVTRが

 ございますので、お付き合い下さいませ。」

知らなかった・・・。

日帰りの検査入院した時に撮っていたそうです。

だってパパが保育園に迎えに来なかった日は

亡くなるまで一日もなかったし。

胸が締め付けられました・・・。

VTRは再度、スタートしました。

「なっちゃん、パパはずっとなっちゃんが

 大好きだよ!

 なっちゃんとお酒一緒に飲みたかったなぁ~。

 なっちゃんの子供抱っこしたかった!

 なっちゃんと春樹の成長ずっとずっと

 見たかった!でもごめん・・・。

 それはできないや・・・。

 でもね、なっちゃん、これだけは

 パパと最後の約束!・・・

 グスッ・・・グスッ・・・。」

パパが泣いてる顔、初めて見た・・・。

「・・・パパがいなくてもママの言う事を

 聞く事!

 春樹と一緒にママのお手伝いをする事!

 パパとママをずっとずっとずっとずっと

 ・・・・・・・、大好きでいてね!

 パパが・・・・・死んでも、わ、わ、

 忘れないでね!

 グスッッ・・・、

 大好きなママのお腹に宿ってくれて本当に

 ありがとう!産まれてくれてありがとう。

 短かったけど、たくさんチュウしてくれて

 ありがとう、

 お風呂入ってくれてありがとう!

 なっちゃんは選んだ人とずっと一緒に

 幸せに暮らすんだよ!

 本当に今日は結婚おめでとう!

 なっちゃん、大好きだよ!

 ご、ご、ご、ごめん・・・ね。」

VTRが終わりました。

友達はみんな泣いていました。

私もずっと泣いていました。

VTRが終わった途端、全員がビジョンに向かってずっとずっと拍手をしてくれていたのが忘れられません。

今でもパパは生きていると思います。

最後にパパに話しかけたのは、

「パパ~、今週のお休みはカラオケだよっ!」

「いいよ~、パパがバイクでお外行って

 帰ってきたらみんなで行こうね。」

あの時のパパの笑顔は一生忘れないと思います。

パパ、ありがとう


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心の窓 「一番大切な日」

1

いつからだろう。

毎年7月18日、父は会社を休む。

母は美しい花を買って、二人でどこかに出かけるのだ。

どこへ行くんだと俺が尋ねても、ちょっとねとお茶を濁す。

そそくさと礼服に着替え、それはそれは不思議な1日が毎年続いていた。

そんな俺ももう高校三年生。

何となく教師になりたいなどと夢を持っていたが、家には金がない。

意地でも国公立に行けと親には言われてる。

しかし、今日も希望校への判定は「D」。

むしゃくしゃしてリビングで、父の煙草を一本拝借。

火を付けた瞬間に母が帰宅した。

最悪のタイミング……。

母は何も言わず、メモとペンを取りだして、
サラサラと何かを書いている。

「ここへ行ってきなさい」

「は?」見たら、見たこともない住所と名前。

「何で俺がこん…」

「いいから行ってきなさい!」

母のここまで取り乱した顔を見たのは後にも先にもこの時だけである。

なんだってんだよ…まぁいいか、
どうせ勉強もはかどってないし……。

そんな軽い気持で、俺は書いてある住所へ向かうため電車に乗った。

その時には、まさかこれほど重大なことを知ることになろうとは、思っても見なかったのだ
 
 
メモの名前には、前田裕子とある。

…聞いたこともない。

母とどんな関係があるのだろう。

そこは小さなアパートだった。

チャイムを鳴らすと幾つくらいだろうか、母よりもいくらか年配の女性が迎えてくれた。
 
 
「慶太君!?

 大きくなったのね!」
 
 
親戚のおばさんかよ。
 
 
「前田裕子さんでしょうか、

 母から訪ねるように言われた

 のですが…」
 
 
「私は裕子の母親よ。

 裕子も喜ぶわ。
 
 さ、上がってちょうだい」
 
 
「お邪魔します」
 
 
「裕子、慶太君だよ」
 
 
そこには……、

仏壇と遺影があった。

微笑むその遺影の女性は、
とても可愛く優しそうだった。

「裕子、慶太君大きくなったね、良かったね」

おばさんは遺影に話しかけ続けた。

「あの……」

俺と母とこの人と裕子さん、
接点がまるで分からない。

「何から話せばいいか…」

おばさんは、そっとビデオを取り出した。

「とりあえずこれを見てちょうだいな」

それはとある日のニュース。

キャスターは話す。

7月18日夕方5時頃、

トラックの前に飛び出した子供をとっさにかばった
女子高生、前田裕子さんが意識不明の重体、
病院に運ばれ、間もなく死亡が確認されました。

どうやら裕子さんは子供をかばい亡くなったらしい。

ビデオを止めたおばさんが、
衝撃の言葉を発した。

「この子供があなたなの」

「え?!」

全身から血の気が引いた。

何も言えない俺におばさんは続けた。

「裕子は今のあなたと同い年だったわ。
 保育士を目指してた。
 子供が好きだったあの子のこと、
 私は何も不思議に思わなかった。

 あなたの両親には泣きながら、
 何度も何度も頭を下げられた。

 そんなあなたの両親に、私はひとつだけ約束をしてほしいと頼んだの。

 あなたは当時2歳。

 あなたにだけはこの事実を
 隠し通してやってほしい。

 娘もそう願っていると…。

 だから今日あなたのお母さんから、電話があった時にはびっくりしたわ。

 自暴自棄になっているあなたにすべてを話してやってほしいと言うのだから。

 もちろん、あなたに恩を着せるつもりはなかった。

 ただあなたがいま道に迷っているなら、きちんと話そうと思ったの。

 あなたの命はあなただけのものではない。

 あなたの何気なく生きる瞬間は、裕子があなたに命を捨てて授けた瞬間。

 どうか真っ直ぐに生きて……」

いつぶりだろう。人に涙を見せたのは…。

毎年毎年、花を持ち頭を下げていた両親。

娘を奪われて、なお俺に心を馳せてくれたこの人。

そして見ず知らずの俺のために、

18歳の生涯を閉じた裕子さん。

たくさんの人の熱い想いが涙となり、俺の頬を伝い続けた。
 
 
「すみません、

 何を話せばよいか

 分かりません」
 
 
「ならお願い」

 おばさんは言った。

「今、受験生よね」

「3月には素敵な報告を、おばさんに
 届けてくれないかしら、
 お母さんより先に」

思わず見上げたおばさんはイタズラっぽく微笑んだ。

「……はい!!」

俺はおばさんの家を後にした。

ポケットに何かある。さっきの煙草だ。

迷わずゴミ箱に捨てた。

それから俺はがむしゃらに勉強した。

叶わなかった裕子さんの分まで。

3月。…俺は走っていた。電車へと。
そしておばさんの家へと…。
 
 
「おばさん!やったよ!

 合格したよ俺!」
 
 
その時見せたおばさんの笑顔は
あまりにまぶしかった。

「慶太!行くわよ!」

「あぁ!」

7月18日。

俺は20歳になっていた。

裕子さん、おばさんに会いに…。

この日は俺にとって、一番大切な日となった。

(フェイスブック投稿より 作者不明)


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心の窓 「冷めた料理」

【冷めた料理】

数年前、不況で俺の勤める会社がヤバくなりリストラされた。

すぐに再就職できると思っていたが、

なかなか見つからず仕方なく親戚が支配人をやっている
ファミレスに三ヶ月ほどバイトすることになった。

その時、たくさんの家族連れやカップルを見てきたが、
子供の世話ってどの家族連れも母親がするもんなんだな。

暖かい食事を持っていっても、
嫁さんは子供に食べさせたりして、
暖かかった皿はどんどん冷めていく。

逆に旦那は、子供が何をしようが嫁さんの
飯が冷めようがお構いなしに自分の分を平らげていく。

旦那が食べ終わると、子供の世話をする人もいれば、
そのまま新聞なんかを読み出す人もいる。

どっちにせよ、暖かい食事を食べる嫁さんというのは、結構少ない。
多分、家でもこうなんだろうな。

もし、俺に子供が生まれて、
外で食事する時は、俺も面倒みてやろう。
嫁さんに暖かい食事を食べさせてやろう。
そう思った。

それからしばらくして、俺は前より給料は安いものの、
それなりに待遇の良い会社へ再就職した。

そして子供にも恵まれた。

ファミレスに食べにいった時、
子供の世話をする嫁さんとその皿を見てふと思い出した。

「あぁ。俺、あの時の旦那と同じことしてるな」
と。

「俺が面倒みるから、お前、先に食えよ」

そういうと嫁さんは驚いた顔をした。

家にいても滅多に子供の面倒をみることもないから。

嫁さんは

「悪いから・・・」

といったが

「いいから。ほら」

と嫁の手から娘用のスプーンを取り、
娘に食べさせた。

嫁は小さく

「ありがとう」

と言い、暖かい食事を食べ始めた。

嫁はいつもより早口で食事をし、
俺と交替した。
俺の手からスプーンを受け取る時、

「ありがとう・・・本当にありがとうね」

と何故か涙ぐんでいた。
俺の皿には冷めた料理がのっていたが、
それでも美味く感じた。

(フェイスブック投稿より 作者不明)


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心の窓 「批判」

某女子大のとある講義では、初老の女性講師が最初の5分か10分ほど世間話をするのが慣例になっている。
落語でいう所の「マクラ」みたいなものだろう。
殆どが時事ネタなのだが、やはりというか、その日は例の野次の件だった。

—————————————————————-

「東京都議会のある議員が、女性議員に野次を飛ばして問題になっています。
その内容は女性蔑視やセクハラであるという意見が大半を占めていますし、私も概ねその通りだと思います。

ところで、みなさんの多くはパソコンやスマートフォンといった、インターネットに繋がる機械をお持ちかと思います。
そしてそれらで手軽に全世界に情報発信する手段を心得ていると思います。
思慮深いみなさんの事ですから間違える事は無いと思いますが、念のために助言しておきます。

この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。

赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。
私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。
その割に、得るものはあまり多くありません。

批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。

これが無いままに安易に批判する。
手軽に正義感を振りかざせるので、やがてそれがクセになっていきます。
クセになっていくとどうなるか。
他人の失敗が許せない人間になってしまいます。
そして失敗を悪い事だと思い込み過ぎて、失敗するくらいならば何もしない方がいいと考え始めるようになってしまいます。

人間とは不完全なものです。肝心な時に大きな失敗をしてしまう事もあります。

何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、
他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。
みなさんはどちらになりたいですか。」

(フェイスブックの匿名書き込みより)


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