心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 「今日やろう!」 2013.3.20

私の仙台講演が終わった後のアフターお茶会で、若者が私に話しかけてきました。

「僕は今、仮設住宅で生活しています。あの津波で僕とおじいちゃんは家ごと流されて一昼夜真っ暗な中で助けを待っていました。真っ暗でまわりは何も見えないんです。ただ、死を覚悟しながら空を見上げると、今まで見たこともないような美しい星と、その星が家の周りの海に映ってとても綺麗でした。

いつも僕は、なにかをしようと思ったとき、まあいいや、明日しよう、と思うことが多かったように思います。でもいつ死ぬかもしれないという経験をした今、やりたいこと、やるべきことは今日今すぐにやっておこう、と思うようになりました。僕は大切な友達二人と、またいつかやろう、というある約束をしていました、それをやる時間は十分にありました。でも、そのうちそのうち、と先延ばしにしていたのです。その友人はあの津波で亡くなってしまいました。もうできなくなってしまったのです。今でも後悔しています。

僕はまだ20代。明日死ぬかもしれないなんて思ったことはありませんでした。でも今は違います。できることは今すぐやる、こう僕は決めたんです」

私は感動しました。彼は仮設に住むお年寄りに夢と希望を与えられるような活動を始めたい、といっていました。彼のような若者が、日本をいい方向に変えていくと思います。仙台にきてよかった・・・。

その1か月後・・・・
彼はこんな活動を始めました。
「全国の銘菓を、仮設住宅のおばあちゃん達に贈りませんか?」 

仮設住宅のお年寄りに笑顔を!という合言葉のもとに、生きている ”今日” を大切に笑顔を届ける活動です。
私も全国の皆様に呼びかけたいと思います。

あなたの地元で自慢の銘菓を彼に贈ってください。銘菓だけではなくあなたの地元の名産でも結構です。苦しんでいるお年寄りに笑顔を与えてください。

人はみんなつながっているのです。人は愛でつながっていると思ったとき、生きる希望を持つことができます。

あなたの愛を少しだけ分けてくださいね。

彼の動画です。

彼への連絡先はこちら(フェイスブックアドレスです)
http://www.facebook.com/profile.php?id=100004138782633&fref=ts

私の「心の窓 仙台講演」の動画はこちらで見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=J6h955aj2Ds&sns=em


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心の窓 「目標と目的」について 2013.3.12

<目標と目的について>

この二つはとてもよく似た言葉ですが、目標とは「○○に向かって」であって、目的は「○○のために」ですね。

ちょっとこんな話をしたいと思います。
クロスカントリースキーの日本代表選手の新田よしひろさんという人がいるのですが、岡山の代々続く農家に生まれた新田さんは、3歳の時におじいちゃんが運転する農機具のコンバインに左手を巻き込まれてひじから先を失い、それ以来障害者としての運命を背負うことになりました。

でも、翌年の4歳からスキーを初めて、中3のときには県大会で優勝したりする実力をつけたんですが、そのうちに両手でストックを使う健常者の選手に勝てなくなってしまったのです。これが最初の挫折です。それでスキーをやめてしまいました。

でも、2年後に長野でパラリンピックがあるということで関係者が、出ないか、と言ってきました。でも健常者と戦ってきた新田さんには全然興味を持ちませんでした。ところが、関係者に見せられたビデオに新田さんはくぎ付けになりました。新田さんと同じ、左手がないドイツの選手が障害者とは思えない早さで滑っていたのです。

そして練習を再開して世界選手権で優勝。次のトリノパラリンピックでの優勝も確実視されていたのですが、トリノ大会で転倒のアクシテンドを起こして大敗。彼は引退するといって引きこもってしまいました。

でもその時、新田さんは気づきました。目標は金メダルだったのですが、目的を忘れていたのです。何のためのメダルか、ということです。

家にはおじいちゃんがいました。運転するコンバインで片腕を失ったときのおじいちゃんが。事故直後におじいちゃんは「この子と一緒にわしは死ぬ!」といって、それ以来ずっと自分を責め続けていたんです。

新田さんの目的は、金メダルをとっておじいちゃんにこう言ってあげることだったんです。「おじいちゃんは、俺にとって最高のおじいちゃんだよ」。

そして次のパラリンピックのバンクーバー。新田さんは二つの金メダルをとって、92歳のおじいちゃんの首にその金メダルをかけました。

何かに挑戦するとき、「誰かのために」という目的があると人は変わります。すごい力を発揮します。それは愛の力だから・・・。

(みやざき中央新聞より一部抜粋)


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心の窓メルマガ版 67 「未来へ」 

未来へ

あるピアノの先生のブログですが、転載の許可をいただきましたので、是非お読みください。

●中1になったAちゃん、発表会の曲を相談している時、彼女は「未来へ」を弾きたいと言いました。

どうして?と聞くと「小学校の卒業式の日に、お母さん達がサプライズで歌ってくれたから、今度はお返しにお母さんに私がピアノで弾いて返したい」というのです。

じゃあ、発表会の前にコメント書かなくちゃいけないでしょ?
それはAちゃんだけ、お母さんに内緒で私にコメントちょうだい。
なるべくお母さんを泣かせるコメントね。

というと、「お母さん、すぐ泣くから大丈夫。ちょっと書いただけでお母さんは泣かせることができるから(^・^)
だってね。6年生じゃなくって5年生の時の音楽会でもお母さんは泣いてたんだよ~~~お母さん落とすのなんて簡単だよ」

というのです。

そっか・・そっか・・・お母さんがどんな気持ちで泣いてるかわかる?
どうしてそんなに涙がでるのかわかる?というと

「え?わからへん・・・・」

Aちゃんのお母さんのお母さんは、お母さんが3歳くらいの時に突然亡くなったんです。

それを私は知っていたので

Aちゃんのおばあちゃんはね、早くに・・とっても若い時にね、可愛い子供二人残して亡くなったの知ってるよね?

子供はね、とっても可愛いし、そして子育てはとっても楽しいもの。子供がいるからこそ、生きる喜びを感じたり、生きがいを感じたりできるものなんよ。

子供が可愛いと思うたびにね、きっとお母さんは若くして亡くなった自分のお母さんの事を思うんだと思うよ。お母さんはどれだけ心を残してあの世に行かねばならなかったのか・・・こんなに楽しい子育てをすることなく、子供の可愛さを堪能することもなく逝ってしまったお母さんを想うじゃないかと思うよ。

それとね、そんなに若くに母親を失くすとね、お母さんは何も言わないかもしれないけど、自分の体の事も、命の事もとても不安だと思うんよね。

もし、自分が母のように早く死ななくてはいけなくなったら、この子達は自分と同じ思いをしなくちゃいけない。

だから、5年生の時にお母さんが泣いたのは、来年、Aちゃんが6年生になった姿を見れるか・・・そういう思いもあったんじゃないかな。

人間ね、いつ死ぬかわからないけど、身近な人が早く亡くなると、自分もそうなるんじゃないかってね、思うのよ。

というと
「え・・・そんなのやだ」

うん、誰だって嫌だよ、でもね、人の命ってとっても儚いの。

私のお兄ちゃんだってね、前の日は普通にみんなで晩御飯食べて普通に寝ておやすみって言ったのに、朝 布団の中でもう死んでたんだよ。

Aちゃんのお母さんだって、もしかしたら明日の朝は死んでるかもしれない。
私だって、来週Aちゃんが来た時にはもうお葬式も済んでるかもしれない。

朝普通に元気でも夜までに突然死んでしまう事というのはよくある話なんよ。

「やだやだ・・・そんなのやだ」

と彼女の目から涙が出てきました。

わたしはね、父はそんなに早くないけど、兄も早く亡くなったからね、自分もいつまで生きてやれるかとても不安。
だから、子供たちの行事があるたびに、ああ・・・今日の運動会もお弁当作ってやれた・・・来年は作ってやれるかなっていつも思うもの。

この未来へって書いた人も、お母さんが病気になって死んじゃうかもっていう思いで書いたって言われてたからね・・・そうなってみないと、幸せはいつまでも続くって勘違いしちゃう

本当にね、命の終わりは誰もわからない。はかないものなんよ・・・。

お母さんやお父さんが今 生きててくれてAちゃんのお弁当を作ってくれる、成長を喜んでくれるっていうのは 決して当たり前の事じゃないの。

「うん・・・わかった(/_;)」

だからね、親と喧嘩してもいいから、その日に仲直りしなくちゃね
もし次の日に生きてるお母さんと会えるなんて何の保証もないんだから

いつ、さよならするかわからないんだから、毎日悔いのない人生を送らなくちゃいけないし、お母さんともいつまでも親子でいられるなんて誰もわからないことなんだよ。

といったら、弾き始めました
ほっぺたから、するする涙を流しています。

きっと、お母さんがいるのは当たり前だったのに、私がいらんことを言ったから、お母さんが亡くなった時の想像をしたんでしょうか

その演奏はとても心に響くものでした。

まだまだ荒削り。練習不足だけどね。
これが気持ちを入れて弾けるまでになったら、きっとお母さんだけじゃなく、会場のみんなを泣かせることができる
今のような気持ちで弾くとね・・・

というと、赤い目をしたまま「はい」といって帰って行きました。

ちょっと中1にはショッキングな話だったかもしれないけど、大好きなお母さんとも、いつか別れる日が来るということも頭の隅に入れて、毎日 家族の健康とそして親の愛情をを受けられるという事が決して当たり前じゃなく、とても大切な事だと思って生きて欲しい。

私ももらい涙で、話をした時間でありました。

来週 素敵なコメントと、人の心に響くような演奏になってることを期待します。


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心の窓メルマガ版 66 「バスと赤ちゃん」 

バスと赤ちゃん

ピアノ調律師仲間からいただいたお話です。どうぞ、お読みください。

■東京の12月も半ば過ぎたころの話です。私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。

その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。昼近くになって、病院の診察を終え、バス停からいつものようにバスに乗りました。

バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。社内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどでした。

まもなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分、病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り、あっという間に満員になってしまいました。

立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。バスが静かに走り出したとき、後方から赤ちゃんの火のついたような泣き声が聞こえました。

私には見えませんでしたが、ギュウギュウ詰めのバスと人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく、泣く以外方法がなかったのだと思えました。

泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向い走っていました。バスが次のバス停に着いた時、何人かが降り始めました。

最後の人が降りる時、後方から、「待ってください 降ります」と、若い女の人の声が聞こえました。

その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。その時、私は、子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで、泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、とわかりました。

そのお母さんが運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと運転手さんは「目的地はどこまでですか?」と聞いています。

その女性は気の毒そうに小さな声で、「新宿駅まで行きたいのですが、子どもが泣くので、ここで降ります」、と答えました。

すると運転手さんは、「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗っていってください」と、その女性に話しました。

そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが、赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りるといっています。子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」
と、言いました

私はどうしていいかわからず、多分皆もそうだったと思いますが、ほんの数秒かが過ぎた時、一人の拍手につられて、バスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました。

今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、心にしみる思い出です。


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心の窓メルマガ版 65 「夢の時を生きる」 

夢の時を生きる

小児癌病棟に、一人の男の子がいました。
彼の名は、しゅん君。

彼の脳の腫瘍は、手術できないものでした。
でも彼はいつも看病してくれる人たちに、明るく振舞っていました。

症状が進んだある日、彼は斜視になっていました。
それを気づかないように、お母さんや看護師さんは必死に鏡を隠して、夜になると鏡の代わりになるのであわててカーテンを閉めていました。

ある日、そんな事情を知らない一人の新人看護師さんがやってきました。
彼女の胸ポケットに手鏡があることに気付いたしゅん君は、

「その鏡を貸して」

そして彼は、以前とは変わってしまった自分の顔を見て、泣くこともなく一言こういいました。

「僕が鏡で顔を見て事、お母さんには黙っててね、きっと悲しむから」

そんな心優しいしゅん君が、一度だけわがままを言いました。
亡くなる2日前に日に、

「僕は大人になりたいよ」

でも周りの人があわてて、
「何いっているの、なれるにきまってるでしょ」

その姿を見て、しゅん君はその大人たちの姿を見て口をつぐんだのです。

彼の夢は「大人になること」

仕事がなくて死にたい、そんな状態だったとしても、彼が生きていたら、きっと笑って「大丈夫」って思ったでしょう。

失恋して死にたい、とんな状況でも彼だったらその失恋を笑ってやり過ごしたでしょう。
彼の夢、「大人になること」が叶っているのだから・・・。
私たち大人は今、その夢の時を生きています。

これは、日本メンタルヘルス協会衛藤信之先生の講演から抜粋した宝地図ムービーから転載させていただきました。

アジアチャイルドサポートの池間哲郎先生が、カンボジアのゴミ山の中で生活している子供たちに「あなたの夢はなんですか」と聞くと、「私の夢は大人になること」と答えました。
7歳までに3分の1の子供が不衛生な環境の中で死んでしまうからです。

今、フェイスブックの中で、こんな言葉が広がっています。

「キミが無駄に過ごした“今日”は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだよ」

ぴあの屋ドットコム 石山


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