心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓メルマガ版 44 「命」

よかった探し

「白血病は治る」というコラムを以前に書きましたが、そのボランティア活動「NPO法人さい帯血国際患者支援の会」(http://www.ptsupport.net/)の総会が神戸先端医療センターでありました。

私たちは、このボランティア活動をやっていても、実際に患者さんと直接接触することはありません。患者さんの後方支援のための活動だからです。でも今回、実際にさい帯血移植をされた患者さんのご家族が出席され、お話を聞くことができました。以下要約した内容ですのでお読みください。

私の主人は、去年の3月に67歳5か月でさい帯血移植を受けました。それまでに近くの市民病院に3か月半、先端医療センターに移って5か月入院し、無菌室にも長く入っていました。退院後は、免疫が落ちていることからちょっとしたヘルペスなどは出てはいますが、ほとんど合併症も出ずいい状態を保っております。病院の先生方も、今までの最高齢の成功例でとても喜んでられました。

今日この会議に参加してみて、最初、私は場違いではないかと思いましたが、このようなボランティアの方々が、草の根で活動されていることを知って、びっくりしています。

私の主人に移植したさい帯血は、東海大学のさい帯血バンクから届いたものでした。とても元気の良い男の子のへその尾から採取したもので、細胞数が非常に多く、主人が必要になったときにそれが見つかったのは、本当に奇跡のような感じに思います。

さい帯血の移植後、普通は3週間で成着するのですがなかなか成着しなくて、その間は完全無菌室でたいへん苦しい状況が続きました。主人の場合は5週間もかかり、このままではダメだ、他の手を考えないと、と先生も相当悩まれました。

そんな中で、ちょうど桜の咲くころでした。やっと成着の兆しが見えたのです。いつも無菌室のガラス越しに見舞にいっていたのですが、先生が私を見つけると手を振って、こちらに来なさい!と合図を送ったのです。

先生のパソコンの画面をさっと私の方に向けて、「これこれ!これを待ってたんですよ!」と先生は言うのです。そこには、白血球が少し増えた様子が出ていたのです。

私もうれしくてうれしくて、なぜかすぐに近くのデイリーヤマザキのコンビニに走って行って、今思うとなぜかわからないのですが、カレーパンとビールを買って、近くの公園にいって、桜の木に「カンパイ!」と叫びました。それから、まだまだいろいろとありましたが、現在68歳と9か月で元気にしております・・・。

ここまで話された時に、有田理事長は訊きました。「お住まいはどちらですか?」「神戸です」。そのときに理事長はこう話されました。東京や神戸のように最先端の医療施設がある近くにお住まいの方はラッキーですが、沖縄など医療格差で苦しんでいる地域はたくさんあります。

こんないい病院があることを知らない、また知っても来ることができない、そんな患者さんに同じように機会をあたえるための応援をしたい、というのがこの団体の発足のきっかけになったんです。地方にいてちゃんとした医療を受けられない人のために、また退院後の無菌室の提供など私たちのやるべきことはたくさんあります。一緒に頑張りましょう。

こう理事長は話されました。1000円サポーターとして協力くださっている方々、そして命を救うボランティア。一人一人のできることはわずかでも、多くの人の力が集まれば、命を救っていくことができるのですね。

これからもありがとうと言われる生き方を実践していきたいと思っています。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓マルマガ版 43 「子供は天使」

心の窓メルマガ版 2 「生きることは捨てること 捨てることは生きること」子供は天使

今日は、いくつかのコラムをご紹介しましょう。
作者はわかりませんが、普通の人が書いた普通の出来事です。

●字を覚えたのは何のため

4歳になる娘が、字を教えて欲しいといってきたので、どうせすぐに飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「Aちゃんから、神様に手紙を届けて欲しいって言われたんです」

こっそりと中を読んでみたら、

“いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします”

と書いてあったそうだ。

旦那は昨年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・。

受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」。

最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。。。

●ママのママになってあげる!

私の母は小学校4年の時に亡くなったの。

その話を娘にしてたのよ。

ママのママは死んじゃっていないんだよーって。

そしたら、娘が

「じゃあ、私がママのママになってあげる!」

だって。

意味分かってないんだろうけど、嬉しかったよ。。。

■お母さんと分けっこしたい

4歳の息子。

お手伝い1回5円でためたおこずかいでお菓子を買った。

私的にはお菓子は食費から買うのでミニカーとか買えばいいのにと思って、

「はぁ? そんなもん買ったの?」

と言った。

そしたら涙ぐんで

「この前かあさんと分けっこしておいしいねって笑ったでしょ?」って・・・。

ごめん息子よ・・・・こんなバカな母でも優しい子に育ってくれたんだね・・・・。

ぎゅっと抱きしめて泣いてしまいました。

●娘のはってくれた絆創膏

先日、ダンナとささいな事でケンカになってしまいました。

お互いにかなりヒートアップしてしまい、すごい勢いでののしり。

子供の前で大泣きしてしまいました。

私がタオルで泣き顔を見られないようにしていると、

娘「ママどうしたの?(困った顔で)」

私「ママねーちょっとお目目が痛いの・・・」

娘「じゃあ、ばんそうこう買ってくるね。待ってて」

私「?」

救急箱から、娘が一番大事にしているキティーちゃんの絆創膏を持ってきてくれました。

慣れない手つきで絆創膏の紙をはがし、

「ママの涙止まるかな~。止まって欲しいな~」

といいながら私の目の下に貼ってくれた娘。

私の心にも絆創膏をはってくれた娘。ありがとう。

子供の前でケンカはやめなきゃな・・・・。

以上です。
子供って、憎たらしい行動をするときも多々ありますが、つい最近まで神様のそばにいたと思えるようなことを突然しますよね。
子供から気づかされることがたくさんあります。

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 42 「縁を生かす」

縁を生かす

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。

後半の記録には
「母親が死亡希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」。

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」。

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」。

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
(月刊「致知」2005年12月号鈴木秀子シスターの連載より)

いかがですか。
この文を読んでどう感じられましたか。
縁の大切さ、縁を生かすこと、みんな学びですね。

ぴあの屋ドットコム 石山

※メルマガ「心の窓」はご縁のある大切な方へ転送していただいてもかまいません。
その場合は、加筆修正せずそのまま全文をコピーしてください。一緒に心の窓を開きましょう。


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心の窓メルマガ版 41 「あるレジ打ちの女性」 

あるレジ打ちの女性

あるところに、何をしても長続きしない女性がいました。
「つまらない…やりたくない…私のやりたかったことじゃない…と言い訳ばかり。

大学のサークルも就職してからの仕事もすぐ辞めてしまいます。
気づけば彼女の履歴書は、たくさんの職歴が並ぶようになりました。

「どうせすぐ辞めるんじゃない?」
いつしか正社員として彼女を雇う会社はなくなっていきました。
その後、派遣社員となるも、やはりすぐ辞めてしまうのでした。

こんな私じゃダメだ…ガマン強くなりたい…でもどう頑張ってもなぜか続かない…。

そんな時にきた仕事が、スーパーのレジ打ちでした。
しかし数週間後、単純作業がイヤになり、結局また辞めたい衝動が彼女の心を襲います。

そんな矢先、電話が鳴りました。田舎の母からでした。
「もう、帰っておいで」

母の一言に心を固め、辞表を書き荷物をまとめ出した時、あるものを見つけました。
それは子どもの頃の日記でした。

「ピアノニストになりたい」

はっきりとそう書かれていました。
唯一、長く続けられたもの。それがピアノでした。

彼女の中で静かな変化が起こりました。
もう逃げるのはやめよう…。

「お母さん、私、もうちょっと頑張ってみる」
決意の証が、雫となって頬を濡らしました。

ピアノの練習するうちに、鍵盤を見ずに弾けるようになった…
ひょっとしたらレジも…
彼女は特訓を始めました。
大好きだったピアノを弾くように…

彼女はいつの間にか、レジ打ちの達人となっていました。
変化はすぐにあらわれました。
お客様の顔を見る余裕ができ、次第に覚え、話しかけることができるようになりました。

「あら、いい鯛ですね。いいことがあったんですか?」
「わかる? 孫が水泳で賞を取ったの」
「それはよかったですね。おめでとうございます!」
彼女はたくさんのお客様と話ができるようになりました。

そんな時、ある事件が起こりました。
それは店内アナウンスが何度も流れるほど忙しい日でした。
「お客様、どうぞ空いているレジにおまわりください」。
「重ねて申し上げます。どうぞ空いているレジにお回りください」。

彼女が見回してみると…。
彼女のレジにだけお客様の長い列が…。

「お客様どうぞあちらのレジへ」と店長。
「イヤよ、私は彼女と話をしにここに来てるの」。

その光景を目にして、彼女は手を思わず止めました。
あふれる想いは歓喜の雫となり、その場に泣き崩れました。

その後もレジからは、会話が途絶えませんでした…。

「涙の数だけ大きくなれる」木下晴弘著(フォレスト出版)

ぴあの屋ドットコム 石山

PCの方はこちらもどうぞ→ http://www.youtube.com/watch?v=2M08p9leBio


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心の窓メルマガ版 40 「努力の法則」

努力の法則

人生はプラス(正)もマイナス(負)もどちらの出来事も起こるというのは皆さん経験されていると思います。
いいことばかり先に得ることによって、失うものが多いこともあります。

宝くじに当たって、人生を狂わせる方が多いのもそうです。
急に大金を得た方は、その使い方を知らないからかもしれません。

ある会社では社会貢献に大きな比重をおいていますが、これこそがその会社が大きく発展する要であるということを経営者はわかっているのです。

寄付をするということは、金銭的にはマイナスになります。
でもそのマイナスを善の力で自ら先に行うことによって、マイナスの要因が減り、こんどはプラスになって返ってくるのです。
でもそこに見返りを要求すると返ってこないのですから宇宙の法則というのは見事です。

最近ある本を読みました。
先入観をもたれないように作者は書きませんが、そこには私がいつも思っている、まさにそのことが書いてありました。
内容の一部をお読みいただきたいと思います。

「負」イコール「不幸」と決め込むのではなく、「努力」も負に含まれます。努力という「負」を先にたくさん積んでいれば、あとにくるのは「正」だけなのです。
お守りなどを頼りにして努力もせず幸せという「正」を得た場合は、その幸せはもろく、やがて負を経験することになるでしょうが、努力を積んで得た幸せは強固で、決して簡単には失われません。
このことを理解すれば「負」をむやみに恐れなくなります。
「正」が来るのを楽しみに待ちながら、努力という「負」を積みましょう。

以上がその内容です。
「寄付」や「努力」などを自ら実践している人は、負という名の不幸はもう来ないのです。
もし来たとしてもそれを不幸だとはと思わない意識を持っているはずです。
以前「三年峠」という話をこのメルマガで書きましたが、出来事のとらえかたはあなた次第だということですね。

精神世界の話が流行していて、念じていれば願いはかなうとか、ありがとうだけ唱えていたら幸せになれるとかの話がありますが、その本質の意味を理解せず、成功法則といわれるものをうわべだけやってみて、なんだ幸せになれないじゃないか、といっている人が最近よく目につきます。

必死で働いているアリの横で、キリギリスがお経のようにありがとうと唱えていて、アリよりも幸せになれるなんてあり得ません。

人生の終わりには、プラスマイナス帳尻がすべて合うと言われていますが、私もまったくの同感です。

どうすればいいのでしょう。
そう、目の前にあるあなたがやるべきこと、それをやればいいんです。
そして、幸せになるための布石。
つまり負を自ら行うチャンスが、あちこちにありますよ。

ほら、お店のレジの前にも箱が…。
恵まれない人、困っている人の笑顔が見えませんか?

ぴあの屋ドットコム 石山

※レジの前の寄付の箱という表現はたとえです。


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