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心の窓メルマガ版 29 「パカワンちゃん」

パカワンちゃん

心の窓メルマガ版 21号でご紹介した、タイのP&Cボランティア協会からのレポートをご案内します。

彼女の名はパカワン・ポンケオ。彼女はHIV母子感染で生まれました。その上、彼女は生まれながらにして聴覚に障害を持ち聾唖です。パカワンちゃんの両親は彼女が生まれると直ぐに次々と共にエイズで亡くなっています。その後は祖母と貧しい二人暮らしです。

彼女は自分がHIVである事をずっと前から知っています。心無い近隣の人にそれを知らされました。それでも、それをしっかり自分なりに受け止めて強く前向きに頑張って来ていました。

4年前11歳の時にP&C里親支援がスタートしました。パカワンちゃんは、いつも寂しそうな目をした翳りのある消極的な少女でした。

当時、栄養不足で免疫低下によって熱を出したり皮膚炎を起こして入退院を繰り返していましたが、支援品のお米やミルクなどのサポートで健康を取り戻し、元気に養護学校に通うように成っていました。

パカワンちゃんは、たぐい稀になる容姿端麗な美少女で、すくすくと身体も立派に成長していました。

しかし、思春期を過ぎた頃から女性である事を嫌ってか、だんだん少年のような格好や振る舞いをするようになって次第に男の子みたいになってしまいました。

自分には恋愛も子を産む事も許されないと知ってしまったのですから。私には、それが彼女の不運な人生への最大の抵抗に見えていました。

タイの医者の話では、子供のHIVでは多くの場合、10歳から12・13歳でエイズが発症し亡くなっているのだそうです。パカワンちゃんは今15歳。6月で16歳になる少女です。それからすると、とても心配な時期に差し掛かり今後は楽観視出来ない事が分かります。

数ヶ月前から、支援品を渡す度に、パカワンちゃんの顔や腕の皮膚がガサガサして来たなと感じていました。医者に掛かるように促しましたが、お金が無いので行っていないようです(薬代や治療費は免除がありますが、遠くのHIV専門の総合病院へのバス費用や同行者は無く、一日掛かりの通院には食事代の出費もかさみます)。

先月、彼女と会った時、毛髪が抜け落ちているのに気が付きました。肌にも艶は無くボロボロでした。

そして数週間前、彼女は髪が無くなり、醜く自分の姿が変わって行くのに心を痛め学校をやめてしまいました。今は一日中家にこもり、時々日中祖母を手伝って軽い畑仕事をしたりの生活です。

現在のパカワンちゃんは、脱毛と皮膚炎の症状の他は、今は体力もあり元気そうに見えていますが、どうやらエイズ発症の兆しが見え隠れているは避けがたい状況です。

今、私達は彼女をもう一度美しい少女に戻してあげられると信じて見守っています。病院に通わせ出来る限りの良い医療と治療を受けさせたいと考えています。最後まで諦めないで私達も一緒に病魔と闘ってあげようと決意しています。

どうか皆さん、パカワンちゃんを応援して下さい。どうか皆さん一緒に考えて下さい。

HIV児で生まれ、聾唖で生まれ、両親は次々に他界し、極貧の祖母とひっそり暮らしてきた少女。 自分がエイズを発症するまでの命である事をずっと胸の内にしまい込んで、この世界の美しい音を一度も聞く事もできず、言葉を発する事もできず、家族の愛に飢え、ひっそりとけな気に生きてきたパカワンちゃん。

もし、長く生きられたとしても生涯、結婚も母親になる事も許されないと知っていしまった少女。彼女はこれまでどんな思いで生きてきたのでしょうか。

もし万が一、このままエイズの苦しみを背負って逝ってしまったら。あまりにも残酷で悲し過ぎます。今、私達が出来る事は何でしょうか?

いつとも知れない最後の日までに、『自分を必要としてくれる人達がいた。自分は愛されていた。』ともっと感じさせてあげたい。『胸の内をもっと気付いてあげたい。もっと見つめてあげたい。』『何になりたかったのか?どんな夢があったのか?』『どんなに辛かったか?どんなに悲しかった?』を。

宿命の日が訪れてしまう前に、これまで言葉に出来なかった溜め込んだ苦悩の感情を全て開放してあげたい。どうかこの子達全員がいつまでもいつまでも命の火を灯し続けてくれますように。生きた意義と存在価値と生きてきた証をいっぱいいっぱい残せますように・・・。

以上が、今年2月にいただいたタイからのメッセージです。
残念なことに6月20日のメッセージでパカワンちゃんが再入院したと聞きました。彼女は看病しているおばあちゃんがいないときに、一人で涙を流しているそうです。

今月24日が彼女の16歳の誕生日。日本から贈られたたくさんのお見舞い品が彼女に届けられました。奇跡を信じ、元気に回復して家に帰られるように願っています。

P&Cボランティア協会ホームページ http://pandc.konjiki.jp/index.html
ミクシィ会員の方はこちら http://mixi.jp/show_friend.pl?id=9528081

ぴあの屋ドットコム 石山


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心の窓メルマガ版 28 「ゴースト」 

ゴースト

みなさん、突然ですがオバケはいると思いますか?

私は見たことがないので分かりませんが、昔から日本だけではなく世界中で幽霊の話がたくさんありますので、統計的にもいると思ったほうがいいように思います。この世には、見えないけど存在していることってたくさんありますからね。

さて、今回は話題のドラマのお話しです。アメリカの連続ドラマ「ゴースト~天国からのささやき」というのが今、レンタルビデオなどで大人気で、私も試しに第1巻から見てみました。

もう最初から涙がボロボロ。幽霊の出る怖いドラマかとおもったら全然そんなことなくって、とっても人間的な幽霊ばかりです。まずドラマの設定が、実際に幽霊と話しのできる能力のあった人物の、実話に基づいたものらしいのです。

主役のメリンダは子供の頃、祖母に「あなたには、死者と会話ができる特別な力があるのよ」と言われ、実際、彼女には普通の人に見えない霊が見えてしまうことを知ります。

そして、霊も彼女と目が合うものですから、自分のことが見えるんだと分かって、メリンダに助けを求めるようになります。

メリンダの前に現れる霊は、それぞれの願いがあり、それを叶える為に必死に訴えかけてきます。

このように、死者(ゴースト)からの生前愛する人たちに伝え切れなかったメッセージを伝え、さまよえる魂を安らかに天国へと導く感動のドラマです。

特に私が泣いたのは、子供の霊が出てくる話です。

ある小さな男の子が線路の横で座っています。メリンダが「どうしたの?」と聞いたら、「お母さんが、迷子になった時には、必ずその場所で待ってなさい、といったからずっと待っているの。でもこないの・・・」。

そう、この男の子は踏切事故で死んでしまったのですが、自分が死んだことが分かっていません。その現場で、ずっとお母さんを待っているのです。

この子に死んだことを分からせて、本当に行くべき世界へ送るためにメリンダは走り回るのですが、霊が見えて話ができるなんて誰も信じません。その子の親にもお金目当てに来た、と思われてしまうのです。

でも、子供しか知りえない話をするものですからだんだんと信じはじめます。しかしお父さんは子供を亡くした悲しみから、その原因になった人をピストルで殺しにいくのです。

ずっとそばについて、「お父さん、悪いことしないで!」と亡くなった子供は呼びかけるのですが、聞こえるわけはありません。

結末はここでは書きませんが、これらのドラマを見ていて思うことは、この世に思いを残してしまうと、行くべき世界へ行けないということ、仏教でいうと成仏できないということでしょうか。

人はいつか必ず死にますが、やはりやりたいことは全部やって、毎日を後悔のない生き方をしていくことが大切で、この世に思いを強く残してしまうと大変なんだ、ということがよく分かりました。

他にも火事で孤児院が焼けて、亡くなった子供たちが、死を受け入れずずっとその屋敷で暮らしている話も、感動で画面が見えないほどでした。

老人ホームでインタビューをした人がいます。
「あなたの人生を振り返ってどうでしたか?」。

この質問に、もっとこんなこともやりたかった、あんなこともやりたかった、とほとんどの人が答えるそうです。やってみて失敗したことを後悔するよりも、やりたいことをやらなかったことに後悔する人がとても多いそうです。

失敗してもいいから後悔のないようにやってみる、そしてやろうと思っていることは今すぐやっておく、ありがとうといっておきたい人には今すぐ言っておく、ということですね。

そしてたくさんの人から喜ばれる生き方をしたいですね。

アルプスの少女ハイジはみなさんご存知だと思いますが、クララがハイジの山に来て、ペーターの、目の見えないおばあさんに聖書を読んであげたとき、おばあさんが涙をこぼして喜んでくれたのをみて、今まで人の世話になってばかりいた自分が、人のためになることができた、歩けない自分だって人に喜ばれることをすることができるんだ、と気づいたとき、クララは生きている本当の喜びを感じたのです。

生きる喜び、ありがとうをいっぱいに浴びて人生を豊かに生き抜いていきたいと思います。

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心の窓メルマガ版 27 「おかあさん」 

おかあさん

「生まれたとき、どんなだったか覚えている?」「パチパチした」。2歳を迎えるころ、言葉を口にし始めた長男に話しかけた。「目をパチパチしていたの?」と聞き返すと「違う」という。パチパチって何のこと。助産婦Aさんは気になっていた。

昨年10月の3回目の結婚記念日の夜。夫のワインを飲みながら、長男のお産のビデオを眺めていた。「はーい、いらっしゃーい」。助産婦の声に迎えられて産声を上げた息子に、周りから拍手が起きた。「いやー、このことや」。パチパチと鳴り響くその音を聞いた瞬間、確信した。「この歓声を、この子はちゃんと聞いて生まれてきたんだ」。

生まれた時の記憶はAさんにもある。暗いところから突然、真っ白な光を浴び、見上げる天井には雨漏りのようなシミがあった。「病院の分娩室だったのかも」。だが、母親に記憶を話すことはずっとなかった。

2歳で父の会社が倒産。夫婦でうどん店を営んだが立ち行かず、母はスナックに働きに出た。深夜、部屋に漂うタバコのにおいに帰宅を感じると、泣き止んで眠った。夫婦げんかの絶えない家庭だった。思春期になると、母を嫌い始めた。母との長いわだかまりが解けたのは長男を産んでから。産後の世話に来てくれた最後の日だった。

長男をふろに入れた後、母はスプーンで湯冷ましを飲ませていた。「私の子供に何するの」。見るなり声を荒げた。水分を補うなら母乳を与えればいい。そう言うと、母は「そんなにしゅっちゅうおっぱいをあげていたらあんたが病気になるで」と言った。

その夜、布団に潜り込むと涙がこみ上げてきた。息子をあやす母の姿。きっと自分にもそうしてくれたはず。「お母さんが帰るのさみしい」。隣で寝ていた夫に、子供のように泣きじゃくった。

「その言葉はお母さんに言わないと」。夫は、母のいる部屋に押し入れ、隣に寝かせた。真っ暗な布団の中で胸にしがみつく。母はだまって背中をさすってくれた。「どんどんちっちゃくなって、お腹の中にいる気がしたの。ずっとこれをやってほしかった」。息子の「記憶」を聞いてから、一層スキンシップを取る。手を握ったり、ギュッと抱きしめたり。「愛情はちゃんと伝えたい。きっと覚えていると思うから」

母と子だけが共有できる出世時や胎内の不思議な記憶。産婦人科医Bさんは3年前から来院者の協力を得て調べてきた。「お腹に急に包丁が入ってきた」と話す帝王切開で生まれた男児の話に興味がわいてからだ。

ある保育園で母親にアンケートした。「おなかの中にいたときのこと」を覚えている幼児は34%。「生まれたとき」は24%に上った、という。「プカプカしていた」「蹴っていた」「暗かった」。そう話す子供の記憶が本当かどうかはわからない。

主婦Cさんも不思議な記憶との出会いがある。三男の出産を間近に控え、4歳の次男に話しかけたときだ。「どうしてお腹の中であんまり動かなかったの」。「ママが痛いっていったから。かわいそうだったから静かにしていたの」。

次男の妊娠中は、つわりがひどく、食後は横になった。夫は食卓と時計に目をやり、早くかたづけろと言わんばかりの態度を見せた。つらさはわかってはくれず、イライラが募った。

妊娠7ヶ月の夜。お腹が激しく動いた。「痛い、あまり動かないでよ」。左手のこぶしでわき腹をたたいた。「1回だけ。それから出産までは本当に静かだったんです」。次男が「記憶」を口にしたのは1度。聞き返しても「覚えていない」とおどけるだけだ。「私は一生忘れません。お腹にいるときから、私に思いやってくれたこの子のやさしさは」。

以上、2003年1月15日朝日新聞のコラムから出典しました。
子供というのは、意味があってその親を選んで生まれてくると私は信じています。子供から学ぶことがあまりにも多いからです。人間の心は電波のようなものだと思います。波動という言い方をしている人もいますが、昔から以心伝心とか言いますね。たとえば電話を掛けようと思ったらちょうど相手からかかってきたとか、類は友と呼ぶということわざとおり、心の電波の同調し合う人が同じところに集まります。

つまり、お父さんとお母さんの電波に引き寄せられて、子供は受精卵めがけて天国からやってくるような気がします。飛び込んできた瞬間が「つわり」かもしれません。ちょっとだけ天国の電波とちがいますから気持ち悪くなるのかもしれませんね。

また、早くに天国に帰ってしまう子供もいます。前回配信したガンで亡くなった千恵さんもそうですね。親よりも早く帰ってしまうのは、あまりにも悲しい事です。でも、これも自分が先に帰ることが分かっていて、回りの人にいろいろな気づきを与えて成長させるために自分で決めてきたことなのかもしれません。見えない世界のことは分かりませんが。

いろいろな思想や宗教がありますので、これが正しくてこれが間違っていると決めることはできません。でも私は、宇宙はこんな仕組みになっているのかもしれないと思いながら、今現在を一生懸命に生きることが大切だと思っています。

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心の窓メルマガ版 26 「明日が来るのは奇跡」

明日が来るのは奇跡

「余命1ヶ月の花嫁」という番組が放映されていました。内容の一部をある方のブログからお借りしてきましたので、是非お読みいただきたいと思います。

千恵さん(24歳)はある日、胸に異変を感じました。しこりがありどんどん大きくなったため病院へ行きました。CT画像で左胸に影、つまり乳がんが見つかったのです。すぐに抗がん剤の投与が始まりました。当時イベントコンパニオンをしていた千恵さんは、副作用で毛が抜け落ちることに大きなショックを受けました。恋人の太郎さん(30歳)はIT関連企業に勤務していますが、年上の彼の前ではしっかり者の千恵さんが甘えん坊になってしまいます。彼は仕事を終えて毎日泊まり込みで看病してくれています。

太郎さんが千恵さんと出会ってデートに誘い「付き合おうよ」と誘った時、この誘いに千恵さんは「ちょっと待って」と答えました。なぜならその時千恵さんは,胸のしこりの検査結果を待っているところだったのです。「乳がんが見つかったの。あなたとは付き合えないよ」と目の前で泣く千恵さんを見て太郎さんは「一緒に頑張ろう」。「おっぱいのない彼女でいいの?なんで千恵を選ぶの?」。「胸がなくても、髪がなくても、千恵が千恵でいるならそれでいい」。
 
しかし若い千恵さんのがんはすさまじい勢いで進行しました。痛み止めが切れると、のたうち回り骨が折れそうな痛みで、どの体勢も辛いと千恵さんは苦しみます。骨と肺に転移し、骨の激しい痛みと呼吸困難の発作を起こすようになり、千恵さんは太郎さんへメールを送りました。「たろちゃん,ちえ生きたいよ…助けて!怖いよ」。千恵さんが、「治らないかもしれない」と思った瞬間でした。医師の「あと1ヶ月・・・もう少し早くなるかもしれません」という言葉に、父と太郎さんは「この一ヶ月で最高の思い出を作ってあげよう」と決心しました。

千恵さんの願いはウェディング・ドレスを着ること。これを友人にだけは打ち明けていました。友人は、ドレス姿の写真撮影だけでなく、結婚式も挙げてあげたいと思いました。
友人は、千恵さんにウェディングドレスの写真を撮ろうね、と連れ出しましたが、千恵さは体調が悪く辛そうでした。でも写真を撮るだけだと思っていた千恵さんに二つのサプライズがあったのです。

一つは友人が太郎さんとの結婚式を企画してくれたこと。もう一つは太郎さんが自分のお気に入りの結婚指輪を贈ってくれたことでした。以前ブライダル雑誌を見ていた千恵さんが「この指輪いいな」と呟くのを聞いていた太郎さんは、必死に探して前日手に入れたのでした。酸素吸入器を外して、とびっきりの笑顔の千恵さんは本当にきれいです。「このままがんが消えてなくなればいい」。その場にいた全員がそんな奇跡を祈らずにはいられないひとときでした。残りわずかな命・・・。でも千恵さんはその時、幸せでした・・・。

千恵さんはこのようなコメントを残しています。「この式は私側の親族と一部の友人のみで正式なものではないけど、“感激”以上の言葉を知っている方いたら教えてください。私はありえない感動を味わいました。みなさんに明日が来ることは奇跡です。 それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます。」

実は、お母さんも千恵さんが中学三年生の時、ガンで亡くなっているのです。お父さんは痛みに苦しむ妻の姿を見ていられず、医者から「モルヒネの点滴をすれば痛みはなくなるが、意識がもうろうとして会話が出来なくなる」と聞いていても、苦しませたくない思いでモルヒネの点滴を選びました。お母さんはやはり会話が出来なくなり、数日後に亡くなりました。このことが千恵さんに大きな影響を与え、モルヒネを点滴すれば激しい痛みから解放されるのは分かっていても、どんなに痛みが激しくても千恵さんは拒みました。実は、最近の医療では意識がなくならない薬があるのですが。

太郎さんへの思いは?と聞かれたとき、千恵さんは「日本語の中に言葉がないです。ただの愛でもなく、“かけがえのない人”でも軽すぎる。本当にぴったりの言葉が見つからないです」。お父さんや友だちには?と聞くと、「感謝、感謝。そんな言葉じゃ申し訳ないぐらい」。また千恵さんはこう語ります。「生きているのって奇跡だよね。いろんな人に支えられて生きているんだよね。私、これで元気になれたらすごい人間になれると思う」。

ついに、千恵さんは朝から意識がはっきりしません。ほとんど眠った状態でした。お母さんが亡くなってから、お母さん代わりに育ててくれた叔母さんは、「千恵のお母さんが生きていたらきっと千恵もわがままを言えた。もっと“辛いよ”と泣けたと思う。千恵はどんなに泣いても、“もう大丈夫。泣かない、頑張る”そればっかりだった」と話します。親族,友人が集まりベッドの千恵さんを見守りました。午後4時42分、長島千恵さん永眠。

闘いを終えた千恵さんの告別式。友だちがお別れに来ました。祭壇の真ん中、そこで千恵さんはウェディング・ドレスを着て微笑んでいます。一月前のあの晴れた日、チャペルで見せたあのとびっきりの笑顔でした。千恵さん、24年と6ヶ月の生涯でした。

千恵さんからのメッセージ「自分がなるまですごい他人事なんですよね、病気って。病気になってからじゃ遅いんだっていうのをわかってもらって、早いうちに防ぐっていうのがすごい大事だと思う」

「命が惜しくないと思っていたが、間違っていた」「今何となく生きている、という人にこの(千恵さんの)姿を見せたい」「何げない生活が本当に幸せなのだと気づいた」。このようなコメントが続々と放送したテレビ局に送られています。皆さんはどう感じられましたか?

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心の窓メルマガ版 25 「誤審」 

誤審

出場か、辞退か・・・・・。県大会決勝での誤審をめぐり出場権を手にした選手も、校長も、悩みぬいた。年末に開幕した全国サッカー選手権。岡山県のA高校が1回戦で敗れた。校長は思った。初戦敗退は残念だったが、正直ホッとした。県大会優勝後が大変だった。「フェアーじゃない」「辞退しろ」。抗議のメールが学校のホームページに何通も届いた・・・。

岡山県大会決勝戦は延長にもつれ込んだ。前半3分、B高校のシュートがゴール左ポストを直撃、ボールはゴール内へ跳ね返り、右奥の支柱に当って転がり出てきた。Vゴールだ。
B高校イレブンは飛び跳ねて喜んだ。

だが、主審は顔を横に振ると試合を続行。全校大会への切符はPK戦でA高校がもぎ取った。閉会式の間、B高校の監督はビデオを手に大会役員に抗議したが、聞き入られなかった。

その光景をA高校のストライカーは黙って見ていた。小学生からサッカー一筋。このトーナメントでも4試合5得点のうち3点を彼が挙げた。問題のシュートは良く見えなかった。
しかし、帰宅後見たテレビ録画で、幻でなかったことを知る。顔色の変わりように母親が驚いた。翌朝、彼は仲間と一緒に校長から激励された。「勝因は君たちの執念だ」。「違う。勝因は誤審だ」と思った。

彼は主力10人を集めて問いかけた。「B高校の連中の気持ちを考えても自分は出場できない」。イレブンの意見は割れ、多数決になった。「出場が6人」。「辞退」は彼を含めて5人だった。

結論を彼は監督に伝えた。「気持ちは十分に分かった。でも、出る出ないはお前達が決められることじゃない」。監督はそう答えた。ストライカーは練習に出なくなった。

決勝の審判団4人は試合後、主催者の調べにミスを認めた。試合の4日後、協会は問題のシュートは「入っていた」と結論づけた。だか、A高校が優勝という試合結果は覆らなかった。

それでもストライカーの悩みは解けなかった。B高校の選手に電話もした。「自主退部する」と告げると、一人は「お前みたいなやつがA高校にもっとおりゃあいいのに」と言った。別の一人は、「気にせんでもええ」と励ました。家族の意見も二つに分かれた。

校長は困り果てた。教職員と話しあい、県高校体育連盟などにも相談した。そして校長は腹を決めた。「生徒は悪いことしとらん。ルールに従って選ばれた。出ないと判断したら組織が崩れる」

期末試験が終わるのをまって、会議室に呼び出した。「いきさつは聞いた。全国大会に出たくないと」「試合は負けでした。負けたのに出るのはおかしいと思います」制服姿のストライカーはきっぱりと言った。

「気持ちは分かる。でもな、社会に出たら、自分の主義主張だけでなく、人間関係も大事だぞ」「よく考えてみます」「世の中は助け合い。組織で動くもんだ。チームは君の力を必要としている。わからんか」「分かります。でも気持ちは変わりません」。2人だけで35分間。校長は「出てくれんか」と言いそうになるのを何回も飲み込んだ。骨のある子だと思った。別れ際に握手をした。

大みそか。ストライカーは自分の欠けた試合をテレビで見た。母親に一度だけ「東京に応援に行かせてあげられんでごめんな」と謝ったが、出場を辞退したことは今でも正しかったと思う。

校長は試合後、観客席で会う人ごとに「いい試合じゃった」と言った。元日の新聞に「出場してよかった」という選手達の談話が載った。校長も自分の決断は正しかったと思っている。
                   <出典:朝日新聞2003年1月5日35面> これは、5年ほど前の新聞記事から出典しました。皆さんはどう感じられましたか? だれが正しくてだれが間違っているということは誰もいえません。みんな悩んで、それぞれが何かを学んだのだと私は思います・・・。 ぴあの屋ドットコム 石山 ご感想をいただきました Mさん 人の考え方は皆それぞれなので、誰が正しくて、誰が間違っているとはいいきれないですね・・。 水島工のストライカー原賀は今FC刈谷でDFをやっています。作陽の主将は確かジェフにいます。 彼らのサッカーの満足度は、すでに高校サッカーを超えた所にあったのではないでしょうか・・。 原賀はVゴールのときおかしいなと思ったのかもしれません。 誤りで国立競技場に立っことに彼は満足できなかったのかもしれません。 満足度は人それぞれです。 サッカーを続けて、プロになって、ずっとこのときのモチベーションを持ち続けるのもそれはそれですごいことだと思います。 自分に誇りをもって頑張って行ってほしいな・・と思います。


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