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心の窓メルマガ版 24 「人であふれた駐車場」

感 謝

私は大学を卒業後、就職した会社をたった一日でやめました。
何のために働くのか、どうしても分からなかったのです。
その答えを見つけるために、自分で仕事をはじめました。
わからないながらも必死で働きましたが、何かがうまくいきません。
いつも中途半端で、本気になれない自分がいました。
夢を持つことができないまま、ただ毎日を過ごしていました。

当時、私は事務所のある新宿まで、毎日車で通っていました。
近くの駐車場には、六十を過ぎたくらいの管理人のおじさんがいました。
「おはようございます! 今日も天気でいい一日ですね」
おじさんはいつも明るい笑顔で、年齢に似合わずシャキシャキと仕事をこなしています。

ある日駐車場についたら、外はひどい土砂降りになっていました。
困ったなあと車から降りられずにいると、おじさんが走ってきました。
「傘忘れたんじゃない? これ持っていきなよ」
「でもそれって、おじさんの傘でしょ?」
「私のことは気にしなくていいんですよ」
おじさんはいつもこんな調子で、お客さんのことばかり考えてくれる人でした。

駐車場は満車になることも多く、おじさんはいつも看板の前であやまっていました。
「満車です。申し訳ありません」
「やっと見つけたのに、困るんだよ!」
中には文句をいう人までいます。
「本当に申し訳ありません・・・」
おじさんはいつも車が見えなくなるまで、少し薄くなった白髪頭を下げ続けていました。

ある日、いつもと同じように車を止めようとしたとき、おじさんの笑顔がないことに気づきました。
「実は今週いっぱいで、この仕事をやめることになったんです」
「え!?どうしてですか?」
「妻が肺を患っているんです。空気のきれいな田舎で二人でのんびりと暮らすことにしました。これまで本当にいろいろとお世話になりました」
そういっておじさんは、深々と頭を下げました。
「お世話になったのは、こっちのほうですよ・・・」
私は何ともいえない寂しさをおぼえました。

今日が最後というその日、私はおじさんへのちょっとした感謝の気持ちで、手みやげを持っていきました。
そして駐車場についたとき、信じられない光景を目にしたのです。

小さなプレハブの管理人室の窓からは、中がまったく見えません。
色とりどりの花束がつみ上げられていたからです。
ドアの横には1メートル以上の高さになるほど、おみやげがつみ重ねられています。
たくさんの花束とプレゼントに彩られて、管理人室はまるでおとぎの国の家のように見えます。

駐車場の中は、たくさんの人でごった返し、あちこちから声が聞こえてきます。
「おじさん、いつも傘を貸してくれてありがとう!」
「あのとき荷物を運んでくれて、とても助かりました!」
「おじさんに、あいさつの大切さを教えてもらいました・・・」

人ごみの中には、笑顔のおじさんがいました。
みんなが次々と、おじさんと写真を撮っています。
おじさんと握手をして、ハンカチで目を覆っている人もいます。
おじさんは一人ひとり目を合わせ、何度も何度もうなずいていました。
私は列の最後にならんで、おじさんと話す機会を待ちました。

「おじさんにはいつも感謝しています。毎朝とても気持ちよく仕事に取りかかることが出来ました」
「いえいえ、私は何もしていませんよ。私にできることはあいさつをすることと、あやまることぐらいです。でも私はいつも、自分が今やっている仕事を楽しみたい、そう思っているだけなんです」

「仕事の最後の日、自分がこれまでどのように仕事に関わってきたのかをまわりの人が教えてくれる。つまらない仕事なんかない。仕事に関わる人の姿勢が、仕事を面白くしたりつまらなくしたりするんだ」。私はそんなことを、おじさんから学びました。

働くすべての人が、働くことの本当に意味に気づき、輝いた人生を送るきっかけになりますように。

福島正伸著「どんな仕事も楽しくなる3つの物語より 人であふれた駐車場」
http://jp.youtube.com:80/watch?v=eJw-W2Ja1ho&eurl=http://www.taku-blog.jp/archives/2008-03.html(PCの方はこちらもどうぞ 約5分)

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心の窓メルマガ版 23 「主演女優」

主演女優

人生は映画のようなものです。一生の間にはいろいろな出来事がありますが、それを一つの映画と考えると分かりやすいですね。
面白い映画というのは、感動や悲しみ、大きなトラブルや壁を乗り越えて人生に立ち向いそれを乗り越えて行くストーリーがあるものです。また、ヒーローやヒロインには、それにふさわしいセリフが用意されています。

皆さんの人生もそのような視点から見てみましょう。
順風満帆な人生を映画にしても、ちっとも面白くありません。今まで、必ずトラブルや壁にぶち当たった時があると思います。その部分を「盛り上がり」といいます。英語でクライマックス、日本語で起承転結の「転」の部分ですね。しかし、その映画を見ている人は、ハラハラして見ているでしょう。でもそれが面白いのです。それを解決したときに、その人は一つ成長したといえるでしょう。

テレビゲームのロールプレイングゲームというのがあります。主人公が道を前に向かって進んでいくのですが、これがまるで人生なのですね。向こうから敵がやってきます。小さな敵ですから「ザコキャラ」といいます。それを一つずつ倒していくと、経験値が上がり、武器を増やすことが出来ます。

その後、大きくて強い「ボスキャラ」が攻撃をしてくるのですが、小さな敵「ザコキャラ」から逃げ回ってきた主人公は、戦いの経験が少なく、武器も持っていませんから「ボスキャラ」に一撃でやられてしまいます。しかし、コツコツとザコキャラをやっつけて経験を積んでいくと、ボスキャラと対等に戦うことができます。

これを人生に当てはめますと、困難が来たときに、逃げ回ってばかりいた人は、大きなトラブルを乗り越えることが出来ず、何度でも同じトラブルに巻き込まれるということになります。

赤ちゃんは、なんでも口に入れてしまって、たとえば砂場の砂も口に入れてしまいますが、あまりにも神経質になりすぎて、除菌ばかりの生活をすることで、子供の抵抗力が低下し、かえって病気しやすい子供に育ったりするということも聞いたことがあります。これも雑菌の侵入から逃げ回ってきたからです。何事も程々が大事です。

話がそれましたが、たとえば女性だとあなたは、あなた自身がシナリオを書いて出演している主演女優だといえるでしょう。そのセリフもあなたが書いているのですが、人の悪口をいったり、周りの俳優をいじめたりしている姿は、どうみても主演女優の姿ではなく、悪役や脇役の演技だと思います。

その映画を見ている観客は、そんなの主役じゃない、と非難するでしょう。だって、主役はかっこよくいて欲しいと思うからです。

その観客の目から、自分の行動を見る。つまり、善意な心をもった第3者の目を常に意識し、自分の行動や言動が主演女優にふさわしく出来ているかをチェックすることが、あなたの人生の映画を名作に仕上げていくコツではないかと思うのです。

学校や職場でよくある「いじめ」も、映画の中のシーンでは美しいものではなく、とても醜いシーンだと分かります。いじめている人は間違いなく悪役です。それに賛同している人もつまらない取り巻き、つまり脇役です。

あなたの製作した主演映画なのにそれでいいのかな、と思います。そんな視点から自分を見つめることはとても大切なことではないかと思います。主役は、いじめられている人を助ける正義の味方であることは誰でも知っています。じゃあそれを実践するだけですよね。

映画の最後のシーンでたとえ主役が死んでしまっても、観客が涙を流して感動を与えられる人になりたいと私は思っています。これこそが、ありがとうと言われる生き方だと思うのです。

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心の窓メルマガ版 22 「モンロビア行きの列車」

モンロビア行きの列車

終戦直後、ある日本人女子学生がアメリカのニューヨークに留学しました。
戦争が終わって間がありませんでしたので日本人は差別を受け、また食糧事情も大変悪く栄養失調で肺結核にかかってしまいました。その頃はまだ結核は治療法が確立されておらず、死の病といわれていました。

病院で診察を受けたところ、ロサンゼルスの山の中のモンロビアという所に、とても良い療養所がありますからそこへ行きなさい、といわれましたが、大陸横断鉄道で5日間程かかります。彼女はそんな長距離を旅するお金なんかありませんでした。

でも死ぬよりはましだと、彼女は恥をしのんで事情を留学生仲間に打ち明けとところ、友人達は快く列車代をカンパしてくれました。しかし、食料も5日分必要なのにやっと集められたのが3日分でした。彼女は日本に連絡を取り、治療費はあとで日本から送ると言う約束をして大陸横断鉄道の特急に飛び乗りました。

発熱と嘔吐を続けながら旅を続け、なかなか食べ物ものどを通りませんでしたが、それでも3日目で食料が尽きてしまいました。

最後のお金をかきあつめて車掌にジュースを頼んだところ、車掌は顔を覗き込んで、あなたは重病のようだがどこまでいくんだね、と尋ねました。留学生は、自分は結核で死ぬかもしれないが、モンロビアの療養所に行ってなんとか助かりたい、と話ました。

車掌は、お金はいらないからジュースを飲んで早く元気になりなさい、と言いました。
そして4日目の朝、頼んでもいないのに、これは私からあなたへのお見舞いだから何も心配しなくていい、といってその車掌がジュースとサンドイッチを持ってきてくれました。

4日目の夕方に車内放送が流れました。
「乗客の皆様、この列車に日本人の女子留学生が乗っています。彼女は重病です。本部に連絡し、モンロビア駅で臨時停車することになりました。明日の朝1番にこの列車が停車するのはロサンゼルス駅ではありません。彼女の為にモンロビア駅に臨時停車いたします」。

すぐに車掌が彼女の元にきて、いま言ったとおりだから安心しなさい、といってデッキに荷物を運んでくれました。

翌朝、列車は夜明けとともにモンロビア駅に臨時停車しましたが、なんとそこにはもう車椅子と医師と看護婦さんが待機していたのです。車掌は本部と何度もやり取りをしたのでしょう、そこまで配慮してくれていたのです。

そして車椅子に乗せられて行こうとしたら、列車の方がざわついています。彼女はなんだろうと思って振り向くと、一等、二等のすべての窓が開いていてアメリカ人の乗客が身を乗り出し、住所や電話番号を書いた紙切れやドル紙幣に名刺をはさんで紙ふぶきのように投げてきたのです。

「困ったことがあったら私の住所に手紙を書きなさい」
「あなたが早く良くなるようにこの列車の全員が祈っているから大丈夫だ」

という暖かい言葉とともにそれが舞って来ました。彼女はすぐ近くに止まっているはずの列車が、もう涙で見えなくなってしまいました。

それから彼女はすぐ治療を受けましたが、退院まで3年間かかりました。
その間、毎週のように見舞い客が来てくれましたが、それもあのときの列車の乗客でした。

そして、退院の時、清算に行くと3年間の膨大な入院費と手術費は、その乗客の一人が匿名で支払って帰ったあとだったのです。

これはある住職さんのお話で知りましたが、アメリカで本当にあった実話です。終戦直後でしたので日本人に恨みをもっていた人もいたかもしれません。でも人種を超えて、人として、なんとかあの女性を助けたい、自分にできることをしてやりたいと、車掌を始め多くの人が手をさしのべてくれたのです。これがボランティアの原点ではないかと私は思います。

アメリカのある地方の小さな飛行場での出来事です。

飛行機が飛び立つ寸前、客室乗務員が座席についた客席にむかって言いました。

「今、お客様の親が危篤になり、親の元に駆けつけるために飛行機に乗りたいのですが、今日はすべて満席なのです。その人はターミナルにいます。どなたか席を譲ってもらえないでしょうか?」

その声を聞くや否や、数人が「ボランティア!」と手を挙げて叫び、席を譲ろうというのです。

ボランティアというのは、なにか特別のことをするという印象を持っている方も多いかもしれませんが、そうではありません。
自分にできることがあればやろう、それで人が喜んでくれるのであれば、進んで自分がやるということです。
それに見返りはありません。

どんなささいなことでも、人のために何かやろうという気持ちがボランティアであり、そのような心を持つ人が増えてきたときに、世界が良い方向へ変わっていくのではないかと私は思います。

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心の窓メルマガ版 21 「他人じゃないよ」

他人じゃないよ

タイ北部のナーン県にある孤児院や小学校に行ってきました。
今回は3回目になりますが、私には大きな使命がありました。それは全国の皆様から送ってくださった楽器を届けること。

前号の心の窓や他の方々のご協力で呼びかけをしてもらって、ピアニカをはじめリコーダーやハーモニカなどの楽器がなんと、100台近く集まりました。ある方は、ご近所のお友達に呼びかけ「心の窓20号」をコピーして配り、お一人で十数台も集めてくださった方もおられました。感動のあまり感謝の言葉もございません。

しかし手荷物で持って行こうと航空会社の重量を調べて愕然としてしまいました。自分の荷物を含めて20kgが限度なのです。以前カンボジアに支援物資を持っていったときには相当多くの重量までOKだったのですが、これは特別に許可された団体だったようで、また別便で郵送で送るとなると船便でもみかん箱1つ分で送料が1万円もかかるそうです。

皆さんのお気持ちを今回の便では全部もっていけませんでしたが、一部郵送で送りあとは2月に予定していますカンボジアの孤児院に持っていく予定にしています。

また、世界の貧しい子供たちへ楽器を送る活動をされている庄野真代さん(飛んでイスタンブールの歌手)と中川希望塾というところでご縁ができましたので、そちらに託すなど必ず世界の子供たちの笑顔につながるようにさせていただきますね。

さて、今回のタイへのツアーでも大きな感動を持って帰りました。いつもお話しておりますN社長の会社の援助による小学校や孤児院、里子の家の訪問など行きましたが、昔よりはましになってきたとはいうものの、まだまだ貧困から抜け出すのは程遠く、食料の確保や生活用品の入手はなかなか厳しいようです。

その中でびっくりするような話を聞きました。山奥にもたくさんの村があって(タイとラオスの国境付近のとても険しいところです)、たくさんの子供たちが小学校で学んでいるのですが、中学校がまだなく、町の中学校までは到底通えないためそこで勉強は終わりになってしまいます。まだまだ学びたいはずですが、仕方ないことです。

しかし、仕事はなく親の畑の手伝いをするしかありません。そんな中で小学校を出て12歳くらいになると、子供たちの体も徐々に成長し性に対して興味を持ち始めます。そしてお互いに好意をもった男の子と女の子が自然に結ばれ子供ができてしまうのです。
まだ12歳くらいだと完全に大人の体にはなりきっていません。まともな食事がありませんから、体格は日本人の想像する中学1年生くらいの体格には程遠いものです。

現地では、できちゃった結婚はあたりまえで、それに対して親はとやかく言いません。独立して自分の家を作り、仕事は親の畑を手伝うだけです。また将来の設計などありませんから、自然のまま次々と子供を生み、ますます貧困になっていく連鎖が続いているのです。

赤ちゃんを抱いている女の子がいましたが、お姉さんが下の子の子守をしているんだと思ったら、なんとお母さんだったのです。大人の体になったから子供を生むというのは、動物としてみると当たり前の流れかもしれませんがやはり人間なのです。これは大きな問題ではないかと思いました。

日本や先進国では少子化といわれているのに世界の人口が65億人を突破し、数十年後には100億人を越え、地球の限度を超えてしまうといわれている意味が少し分かったように思います。

国によっては、子供のうちにほとんど死んでしまうため、それを予測してどんどん子供を生む習慣がつづいているものの、医療がすすんできて子供が死ななくなっても昔のままに生み続けることや、労働力として子供をどんどん生んでいる貧困な国もあると聞きます。これも人口増大の原因であるようです。

これらすべては、やはり教育が足らないことが原因です。きちんと教えることが大切なのです。エイズの感染防止にしても、性教育にしてもすべて同じです。前回書きましたように、教育があればまともな就職ができ、貧乏から脱出できるのです。

日本のボランティアがそんな村にいろいろな知識を伝えています。山で取れる植物をそのまま売っても安くたたかれるだけですが、それを乾燥させて加工し、たとえばほうきを作って製品にして売るとその数十倍の価格で売れるのです。そんな技術を教えることも、お金を援助するだけではなく、貧困から脱出する方法としての自立支援になります。

性の話になりましたが、孤児院でもその代表の方がこんなことを話していました。男性の私がお話するのはどうかとも思いましたが、みなさんに分かっていただきたく、あえてお話させていただきますね。

孤児院ができた3年前にたくさんいた小学校高学年の女の子たちが、3年経ちそろそろ大人の体になり始めます。しかし初めて大人の印があった時、渡せるナプキンは1枚しかないそうです。まとめて渡せるほど余裕がないのです。それほどお金がないということは辛いものだと、私は痛感しました。

一緒に行った仲間の女性の提案で、私は40人ほどのツアーの人たちに1500バーツ(5000円程度)ずつご寄付いただけませんか、と声を掛けました。一瞬のうちにそれを理解した仲間は即OK。このとき、参加した人たちは、日本では当たり前と思っていることが、当たり前でない人たちがたくさんいるんだ、ということに気付いたのではないかと思います。

孤児院の子供たちは私たちの前で、日本語で語ってくれました。「私にはお父さん、お母さんがいません。でも私を助けてくれているお母さんが日本にいます。私は幸せです」という言葉に、私は泣き崩れてしまいました。

世界にはいろいろなボランティアがあります。何か人のためにやりたいと思いながらその一歩が出せない人も多いと聞きます。私が関わった団体は、P&Cボランティア協会という栃木県のご夫婦が現地に住み込んで子供たちの支援を続けている団体です。

もし、皆さんの幸せの一部を貧困に苦しむ子供たちへ分けてあげたいとお考えの方は、下記にその旨を連絡してみてください。団体への援助(年一口1万円程度)や里親として一人の子供の援助をするなど(1ヶ月あたり1100円から3300円程度)あります。

皆さんから受けた愛を、大人になった時、きっと子供たちは一生の財産にして次にリレーしてくれることでしょう。

P&Cボランティア協会 JAPAN事務局 FAX 0287-63-3272

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心の窓メルマガ版 20 「ボランティアツアー」

ボランティアツアー

私は、中国の植林ボランティアやカンボジアの孤児院、タイの貧困な村に行ったことがあります。また近々タイとカンボジアに再度行く予定にしていますが、タイの山奥のナン県にいったときに、子供たちにランチサービスをしました。

年に一回の豪華な食事です。といっても、野菜のスープ。子供たちはいただきます!を食べ始めます。しかし、食事を残す子供が出てきました。普段はあまり食べるものがなくて胃が小さくなって食べきれないのかな、と思っていると現地の人がこういいました。

「この子達は、こんな豪華な食事を自分ひとりでは食べることはできない、持って帰ってお腹をすかせたお父さん、お母さんと一緒に食べるんだ、といって、食べない子が多いんですよ」。

以前、私の尊敬するN社長のお話を心の窓に書きましたね。その社長がこの村に学校や孤児院を寄付しているのですが、学校がないということはどういうことなのかを池間さんも語っていましたが、子供たちは12歳から15歳くらいになると、男の子は肉体労働へ、女の子は、なんとたったの3000円とか5000円で都会へ売られていくそうです。そしてエイズにかかって村に返され、お父さんの分からない子供を生み死んでいく。その子をおじいさんおばあさんが育てているのです。

こんなことが続いているんですよ、前回の心の窓で書いた池間さんは語っていました。食料がないんだったら食料援助が先ではないか、と私は考えたりしたこともありましたが、現地のボランティアの人は、援助は40%でいい、それ以上あると、人は働かなくなる、といっていました。仕事でもそうですよね。魚をとってあげるのではなく、魚を取り方を教えてあげるのが本当の援助だといえます。

N社長の会社が学校を寄付したということは、大人になって読み書き計算、そして英語や日本語を学ぶことによって、体を売らなくても生きていける仕事を得られるということです。教育があれば、貧乏の連鎖から脱出できるということですね。

N社長は、目先の援助ではなく、10年先にこの子達の幸せを願っていのです。しかし企業がよくやっているように、それを宣伝につかって見返りを求めたりはしません。それが本物のボランティア精神だと私は思います。

ボランティアは、何かをしてやってありがとうを言ってもらうものではありません。困った人に援助の手を差し伸べて、そこからまた学ばせていただくものだ、相手のために行動していても、結局自分のためなんだ、ということが分かりました。

タイの子供が日本にきたら驚くそうですよ。電車に乗ったら子供が座席に座って親が荷物をもって立っている、とんでもないことだ、一生懸命働いて育ててくれている親が座るべきで、元気な子供は立って荷物を持つのが当然だと思っています。

売られていった女の子に池間さんは訊いたそうです。「あなたこんな仕事してたらそのうちエイズになって死んじゃうよ。」そうするとこう答えました。

「仕方ないもん、お父さんとお母さんのためだから・・・」

それくらい子供たちは自分を犠牲にしてでも家族を愛しています。

私はタイの男の子の里親になって毎月数千円の援助をして生活支援をしています。その男の子のお父さんは突然交通事故で死んでしまったのです。お母さんは子守の仕事をしていたのですが、その親が突然失踪してしまって、他人の子供をかかえて途方にくれていました。

そんなときに、先ほどのN社長が作った孤児院の情報を聞き、子供を預かって欲しい、そうしないと生活がもう限界だ、と頼んできたのです。

そこで、孤児院では面倒みることになったのですが、なんとそのお母さんの取った行動は、自分の実の子供を孤児院に預け、他人の子供を自分が育てているのです。

どうして?と聞くと、だってこの子はまだ3才でお母さんの必要な年齢なの、自分の子供はもう5年生、一人で生きていきなさい・・・。

すべての子供がこのお母さんにとっては「他人じゃない」のです。その孤児院にはいったベン君という子を、資金援助だけではありますが、私が父親代わりさせていただいています。

尋ねていったら、ずっと私のそばを離れないんです。もう自分の子のようにかわいく思えてきます。人はみんな、他人じゃないんですね。私たち日本人はこれらのことから学ぶことはいっぱいありますよね。

贅沢に慣れてしまった日本人。いまの日本、なにかがおかしいと思いませんか? 

孤児院の子供たちは、日本の里親から、社交辞令のように「お勉強頑張ってね」と手紙が届きます。援助してくれいている里親に大きな感謝を持っている子供たちは、日本のお母さんに喜んでもらおう、と必死で勉強しはじめました。

そして、学校の中で分けてある優秀な子ばかりのクラスに入っているのは、すべてこの孤児院の子供たちなのです。朝は5時から畑やヤギの世話をし、帰ってからもお手伝い。寝る寸前に一気に集中して勉強するのです。日本の子供たちにこの姿を見せてあげたいと思います。

この孤児院に私は、音楽を通じて心の交流と安らぎを与えたいとおもって、リコーダー20本、ハーモニカ20本を持っていきました。

子供たちの能力はすごいです。翌年に言ったときには、日本人ボランティアの指導で、もう曲を演奏していたのです。ふるさとという曲です。

現地では学校でさえ楽器はありません。この孤児院にだけあるのです。楽器の魅力にとりつかれた子供たちは、自作のドラムをつくったりしてどんどん音楽の幅を広げています。今月末に行くときには、私は新たに楽器を持っていこうと考えています。

何の楽器かといいますと、鍵盤ハーモニカ。これでもう楽団ができるかもしれません。子供たちの笑顔が目に浮かんできます。

ただ、購入してもっていくことはカンタンなのですが、できれば日本の方々からの気持ちを運びたいと考えています。もしご協力していただけるのであれば、家で眠っているピアニカやリコーダー、ハーモニカ、タンバリン、などご寄付いただけないでしょうか。私の会社に送ってください。

できましたら、きれいにお掃除してすぐに使える状態でお願い致します。是非皆様のお気持ちをタイの子供たちに届けたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。

612-0829 京都市伏見区深草谷口町111-21 ぴあの屋ドットコム 代表 石山雅雄 TEL  075-645-7111 http://www.pianoya.com piano@exa.to


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