心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 36.謙虚さがなくなる兆候

謙虚さがなくなる兆候

・時間に遅れだす

・約束を自分の方から破りだす

・挨拶が雑になりだす

・他人の批判や会社の批判をしだす

・すぐに怒り出す(寛容さがなくなる)

・他人の話を上調子で聞き出す

・仕事に自信が出てきて、勉強をしなくなる

・物事の対応が緩慢になる

・理論派になりだす(屁理屈を言う)

・打算的になりだす(損得勘定がしみつく)

・自分が偉く思えて、他人が馬鹿に見えてくる

・目下の人に対して、ぞんざいになる

・言い訳が多くなる

・「ありがとうございます」という言葉が少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)

   人間は最初は謙虚です。その謙虚さこそが、

   人間を成長させる原動力だといえるでしょう。

   ところが、時がたち経験を積んでくると、自信ができ、気持ちも緩み、

   心にひずんだ歪んだ癖がついてきます。

   すると、謙虚さを忘れ、成長は止まってしまうのです。

                 (「れいろう」平成13年4月号・45ページ)

              友人がFAXでこの文章を送ってくれました。
              「実るほど 頭をたれる 稲穂かな」
              いつもこの言葉を忘れずに生きて行きたいと思います


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心の窓 35.おかあさん 

おかあさん

「生まれたとき、どんなだったか覚えてる?」

「パチパチした」

2歳を迎えるころ、言葉を口にし始めた長男に話しかけた。

「目をパチパチしてたの」と聞き返すと「違う」という。

パチパチって何のこと。助産婦Aさんは気になっていた。

昨年10月の3回目の結婚記念日の夜。

夫のワインを飲みながら、長男のお産のビデオを眺めていた。

「はーい、いらっしゃーい」。

助産婦の声に迎えられて産声を上げた息子に、周りから拍手が起きた。

「いやー、このことや」。

パチパチと鳴り響くその音を聞いた瞬間、確信した。

「この歓声を、この子はちゃんと聞いて生まれてきたんだ」

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生まれた時の記憶はAさんにもある。

暗いところから突然、真っ白な光を浴び、

見上げる天井には雨漏りのようなしみがあった。

「病院の分娩室だったのかも」

だが、母親に記憶を話すことはずっとなかった。

2歳で父の会社が倒産。

夫婦でうどん店を営んだが立ち行かず、母はスナックに働きに出た。

深夜、部屋に漂うタバコのにおいに帰宅を感じると、泣き止んで眠った。

夫婦げんかの絶えない家庭だった。

思春期になると、母を嫌い始めた。

母との長いわだかまりが解けたのは長男を産んでから。

産後の世話に来てくれた最後の日だった。

長男をふろに入れた後、母はスプーンで湯冷ましを飲ませていた。

「私の子供になにするの」

見るなり声を荒げた。水分を補うなら母乳を与えればいい。

そう言うと、母は

「そんなにしゅっちゅうおっぱいをあげていたらあんたが病気になるで」と言った。

その夜、布団に潜り込むと涙がこみ上げてきた。

息子をあやす母の姿。

きっと自分にもそうしてくれたはず。

「お母さんが帰るのさみしい」。

隣で寝ていた夫に、子供のように泣きじゃくった。

「その言葉はお母さんに言わないと」。

夫は、母のいる部屋に押し入れ、隣に寝かせた。

真っ暗な布団の中で胸にしがみつく。

母はだまって背中をさすってくれた。

「どんどんちっちゃくなって、お腹の中にいる気がしたの。

ずっとこれをやってほしかったんやって」

息子の「記憶」を聞いてから、一層スキンシップを取る。

手を握ったり、ギュッと抱きしめたり。

「愛情はちゃんと伝えたい。きっと覚えていると思うから」

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母と子だけが共有できる出世時や胎内の不思議な記憶。

産婦人科医Bさんは3年前から来院者の協力を得て調べてきた。

「お腹に急に包丁が入ってきた」

と話す帝王切開で生まれた男児の話に興味がわいてからだ。

ある保育園で母親にアンケートした。

「おなかの中にいたときのこと」を覚えている幼児は34%。

「生まれたとき」は24%に上った、という。

「プカプカしていた」「蹴っていた」「暗かった」。

そう話す子供の記憶が本当かどうかはわからない。

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主婦Cさんも不思議な記憶との出会いがある。

三男の出産を間近に控え、4歳の次男に話しかけたときだ。

「どうしてお腹の中であんまり動かなかったの」

「ママが痛いっていったから。かわいそうだったから静かにしていたの」

次男の妊娠中はつわりがひどく、食後は横になった。

夫は食卓と時計に目をやり、早くかたづけろと言わんばかりの態度を見せた。

つらさはわかってはくれず、イライラが募った。

妊娠7ヶ月の夜。お腹が激しく動いた。

「痛い、あまり動かないでよ」

左手のこぶしでわき腹をたたいた。

「1回だけ。それから出産までは本当に静かだったんです」

次男が「記憶」を口にしたのは1度。

聞き返しても「覚えていない」とおどけるだけだ。

「私は一生忘れません。

お腹にいるときから、私に思いやってくれたこの子のやさしさは」

              (出典:朝日新聞 2003年1月5日 27面 おかあさん4)

あと3ヶ月で私のところにも新しい命が生まれます。
それもあって、今回この記事がとても心に響きました。


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心の窓 34.入社試験

入社試験

ある会社では、入社試験に次の二つの質問をするだけだそうです。

一つ目は、「親の肩たたきをしたことがありますか」。

二つ目は、「あなたは母親の足を洗ったことがありますか」。

さすがに後者はあまりやった人はいない。

そこでその会社の社長は

「三日以内に母親の足を洗って来てください。それができたら試験は合格です」

というそうです。

ある入社希望の学生は、恥ずかしくてなかなかいい出せなかったけれども、

思い切って二日目の夕方に、「母さん、ちょっとこっちへ来て」と縁側に母親を呼んだ。

たらいにお湯をくんで、「これであの会社に入れるぞ」と、

照れる母親を前に鼻歌交じりに右足から洗い始めた。

ところが、次に左足を洗おうと持ち替えた瞬間、

その手に、あまりにも荒れてひび割れた母親の足の裏を感じたのです。

幼い頃に父親をなくし、女手ひとつで兄と自分を育ててくれた母親の、

今までの苦労をその手に感じた時、

「母さん、長生きしてくれよな」、

その一言しかいえず、洗いつづけるその手に、母の涙が落ちてくる。

次の日、報告に来たその学生に、社長はこういわれたそうです。

「今まで君は、決して自分一人の力で大きくなって来たんじゃない。

いろんな人の支えがあって成長してきたんだ。

そしてこれからは社会人になって、お客様、同僚はじめ

たくさんの人のお蔭で仕事や生活ができる、

それに感謝する気持ちを、今、知っておいてほしい」。

ともすれば、不平不満が口をついて出る私たちですが、

支えられながら生きていること、

あたりまえになって見えないご恩というものを忘れないでいたいものです。

かすが幼稚園の「子育てコラム」からの転載です。

今回も米川園長先生から気持ちよく転載のご了解をいただきました。

もう何もいうことはありませんよね・・・。

2005年4月に、この先を書いています。

私は、この「入社試験の話」を、あちこちの講演で話すようになりました。

共済事業の講演のときも「感謝」の大切さをお伝えしたくて話すこともありますし、

福祉団体からの講演依頼の時にも話しました。

あるとき、福岡のある女性が私のところに来てこんなことを話されました。

「石山さんから聞いた、お母さんの足を洗う話。私、もう高齢になった母に

本当にやってみたんです。母はテレながらも足を洗わせてくれました。

でもそのとき、こんなことを母は言ったのです。

“ありがとう、ありがとう・・・。

でも、○○ちゃん。今は足だけだけど、

いづれは、全身をあなたに洗ってもらわないといけない時が来るんだね・・・

そのときはよろしくね・・・”」


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心の窓 33.信頼の絆

信頼の絆

朝日新聞の小冊子からの抜粋です。

小学生の時、衛生検査というのがあった。

検査では、みな机のうえにちり紙を出す。

少女Aちゃんのちり紙は新聞紙を切ったものだった。

家に帰って

「Aちゃんのちり紙はね、新聞紙なんだよ。おかしくって」と言った。

お前はなんということを言う、と父親が言った。

「新聞紙だって立派なちり紙だ。明日からお前も新聞紙を持ってゆきなさい」

以後、検査のたび新聞紙を机に出すのが恥ずかしかった。

やがて、父が言った。

「新聞紙を見せるとき、Aちゃんがどれだけ勇気がいったか、お前もわかったろう」。

私は、父から人間の一番大切なことを教わったような気がします。

                (出典:朝日新聞「暮らしの風」3月号、P17「信頼の絆を創る」)

わたしは、この文章にとても考えさせられました。
貧乏で新聞紙のちり紙を持ってきた子。
子供がそんな話をしたとき自分は「ふーん」と聞くだけの人間かもしれない。
自分はちゃんとしたちり紙を持たせることができると、安心する自分がいるしれない。
単に、かわいそう、と思うだけかもしれない。

でも、この父親は子供に同じ体験をさせることによって
相手の立場で考えるということを教えようとしている。
そして、父の一言で本当に新聞紙を持たせた母親もすごいと思います。

相手の奥底の心を理解しようとする姿勢。
これが人間として一番大切なことなのですね。
子供は、生きてきた「環境・教育・思想・習慣」で人格が出来上がります。
この父親のような姿勢で子供に接していかねば、と大きく反省させられました。


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心の窓 32.縁 

小才は 縁に触れても 縁に気づかず

   中才は 縁に気づいて 縁を生かさず

   大才は 袖すりあう 縁をも生かす

     (徳川幕府 柳生家家訓)

    人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し

    急ぐべからず

    不自由を常と思えば不足なし

    心にのぞみおこらば

    困窮したる時を思ひだすべし

    堪忍は無事長久の基(もとい)

    怒は敵を思へ

    勝つ事ばかり知りて

    負くることを知らざれば

    害 其の身に至る

    己を責めて人をせむるな

    及ばざるは過ぎたるよりまされり

               (徳川家康 遺訓)

                 袖触れ合うも、他生の縁
                 縁を大切にできる人が、人生の勝利者ですね。

                 そして、人の一生は重い荷物を背負って
                 遠い道を行くのと同じです。
                 急いではいけません。一歩一歩確実に。
                 また、不自由が当たり前だと思っていれば、
                 不平・不満の気持ちが起きるはずはありません。

                 執着・欲望、求めればきりがありません。
                 先人の教えは偉大です。


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