心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 26.ユダヤの法則

ユダヤの法則

 78対22の法則とも言うそうです。

「人のすることには必ず限界があって、78%が最高であり、100%になることはない」

私はこれを聞いて、少し気が楽になりました。

じゃあ、出来ない22%はそのままにおいたらいいのかと言うとそうではなくて、

「78%の限界ギリギリまでできてよかったね。じゃあ次は、出来なかった22%にチャレンジしよう!」

とその22%に取り組むわけです。

そうすると、その22%を100%とすると、

そのうちの78%が出来る可能性があると言うことですよね。

そうして、徐々に最初の100%に限りなく近づいていきます。

だから出来なかった22%を責めるのではなく、

出来た78%をほめて伸ばせば良いだけなんですね。

取り組んだ一部は出来なくて当たり前なんだから、そこを次にクリアすればいいんです。

以前に書きました「長所を伸ばす」「お母さんの一言」と通じるものがありますね。


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心の窓 25.人生の出会い

人生の出会い

 ワールドカップサッカーのデンマークチームと和歌山県のある少年との出会いのお話です。

練習は公開しないチームがほとんどだが、デンマークチームはすべての練習を公開した。

そのため日々の見学に訪れる人が増えていった。

練習後、握手会やサイン会もおこなわれ、いつも長蛇の列ができた。

その最中のこと。

トマソン選手の前にある少年が立った。

すこしもじもじしていた。

後ろにいた母親が「ほら! 早くしなさい」と少年に言った。

トマソン選手も「少しへんだなー」と思い、通訳を通じて「どうしたの?」と少年に聞いた。

意を決した少年は、ポケットから1枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した。

それは英語で書いた紙切れだった。

「僕は小さいころに病気にかかって、口と耳が不自由です・・・。

耳はきこえません。話もできません。だけど、サッカーだけはずーっと見てきました。

ぼくはサッカーが大好きです。デンマークのサドン選手と、トマソン選手が大好きです。

頑張ってください。」

その手紙に通訳の人も周りの人も驚いた。

だが、トマソン選手はニッコリと微笑み、少年に

「それなら手話はできますか」と手話で語りかけた。

その言葉に少年と母親は驚いた。

「手話はわかりませんか?」とトマソン選手は少年に聞いた。

手話を万国共通と思う人は多いですが、実は国によって違うのです。

そこで通訳は彼にこう言った。

「僕と少年は話をしたいので手伝ってください。

そして少年と話す時間を僕にくださいと周りの人に言ってください。」

後で順番を待つ人は誰も文句を言わなかった。

「二人に時間をあげたい」と思ったのでしょう。

そして二人の会話は始まった。

「君はサッカーが好きですか?」

「はい、大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい、あの、訊いていいですか?」

「いいですよ、何でも訊いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるのですか? 正直、びっくりしました」

この少年の質問に彼は答える。

「僕にも、君と同じ試練を持っている姉がいます。

その彼女のために僕は手話を覚えてたのですよ」

そして、トマソン選手は少年に言った。

「君の試練は、あなたにとって辛いことだと思いますが、

君と同じようにあなたの家族もその試練を共有しています。

君は一人ぼっちじゃないということを理解していますか?」

少年はこの言葉に黙ってうなずく。

「わかっているなら、オーケー誰にも辛い事はあります。

君にも僕にもそして君のお母さんにも辛いことはあるのです。

それを乗り越える勇気を持ってください」

このやりとりに涙が止まらない母親。

そしていつのまにか、周りの人々も涙していた。

トマソン選手は言った。

「今度の大会で僕が必ず1点を取ります。

その姿を見て君がこれからの人生を頑張れるように、僕は祈っています」

この言葉に少年は初めて笑顔を見せた。

「はい、応援しますから、頑張ってください」といってサインをもらいその場を後にした。

そしてトマソン選手は少年との約束を守り得点を決めた。

一点どころか、彼は四得点という大活躍であった。

デンマークの試合がどの国であろうと、和歌山県民は応援に駆けつけた。

そうした応援も実ったのだろう。

フランスと同組ながら、デンマークは2勝1分で見事1位通過を決めた。

「君には前も言った通り、試練が与えられている。

それは神様が決めたことであり、今は変えられない。僕が言いたい事、解りますか?」

「はい」

「神様は君に試練も与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスをくれるはずです。

そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」

とトマソン選手は言った。

この言葉に少年は満面の笑顔で「はい」と言った。

二人は仲良く写真に収まった・・・。


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心の窓 24.こころの手足

こころの手足

中村久子さんの自伝小説を読んで、とても感動しました。

中村さんは、手も足も無い身体障害者です。

明治32年ころの出来事です。

満2歳と10ヶ月の時、左足の甲が紫色に変わってどうせしもやけだろうと

ほっておいたところが、だんだんひどくなり

「あんよがいたいよう」とあまりに泣くものですから、

両親が医師にみせたところ、「突発性脱疽」という病気で、

両足とも切断しないと命の保障はないといわれました。

結婚11年目にやっとできた子供ですから、両親はたいそう悩んで

切らずになんとか治してほしいと、懇願しながら決断できずにいたところ

こんどは両手にそれが転移してしまい、手の下しようがない状態になってしまいました。

両親は、神仏に頼むしかないと一心に祈るしかありませんでした。

ある日、けたたましく泣くものですから駆け寄ってみると、白いものが転げています。

左手首がぽっきりと包帯ごともげて、落ちていたのです・・・。

これをきっかけに、全部の手足を切り落とす手術が行われました。

お父さんはこの子をとにかくかわいがりました。

しかし、手足の傷跡が痛むものですか、毎日夜泣きをします。

近所に迷惑がかからないよう、毎晩おぶって夜中外を歩きつづけました。

たたみ職人であるお父さんは、このままじゃ仕事にならないだろうからと、

親戚からこういわれます

「見世物小屋なら引き取ってくれるだろう。売り渡したらどうだ。」

ある日、突然夜中にお父さんから揺り起こされ

「ひさ、父様(ととさま)が乞食になっても、死んでもけっして離さないよ」

と、語った直後、その晩お父さんは39歳の若さで亡くなってしまいました。

近所の友達からはいじめられ、外に遊びにいくことも出来ず、

もちろん学校にも通えず、いつもお人形相手に遊ぶしかありませんでした。

「あんたはお手々もあんよもあっていいね。そのお手々、私に貸して頂戴な」

無心にそのお人形に頬ずりする姿をみて、お母さんはどんな気持ちだったでしょう。

さらに、こんどは目が見えなくなってしまいました。

手足も無い、目も見えない。この先どうやって生きていけばいいのか。

ある日、お母さんはこの子を抱いて、滝に向かいました。

「ゴォー」とうなる水の流れにおびえてなく我が子をみて、母は我が家に引き返しました。

その後、目は再び見えるようになりました。

お母さんは、このままではいけないと思ったのでしょう。

毎日毎日、あらゆることが自分でできるよう、厳しくしつけるようになりました。

手取り足取り教えるのではありません。

なにも手伝わないのです。自分でできるまでやらせるのです。

食事もそのままお椀に口をもっていって食べようとしました。

周りの子供がはやしたてます。

「わーい、犬みたいだ」

自分は犬じゃない、人間だ。

そのくやしさからついに自分で工夫をしながら、

脇にはさんだお箸で食事までできるようになりました。

さらに針しごとからなんでも自分でできるようになりました。

トイレの掃除も、口に雑巾をくわえてします。

母の厳しさは、この子が一人で生きていけるように願う

本当の愛情だったように思います。

大人になり、障害者の生きていく道は当時はこのような方法しかなかったのでしょう。

「だるま娘」という名で見世物小屋で働き始めました。

その後、結婚して子供を産み育てます。

しかし連れ添った夫も早くに亡くなり、子供も亡くなります。

これもか、これでもか、と不幸が襲います。

また、ヘレンケラーとの対面のシーンは大きな感動を覚えます。

年老いて里に帰ったとき村の住人に再会します。

あのとき子供だった人もみんな老人です。

懐かしそうに話し掛けてきます。

でも、その顔を見ると50年以上も前に、その老人が

自分を冷やかしいじめた時の姿が鮮明に浮かび上がってきます。

いじめた本人は、そんなことすっかり忘れているのでしょう。

でもいじめられた方は、50年以上経ったいまでも忘れることが出来ないのです。

中村久子さんは、この恨みの思いは神仏の心に反する、

と強く自分を責めておられます。

でもそれが、人間の姿なのでしょう。

この自伝小説は、私に人間の本当の生き方を教えてくれた大切な方から

貸していただきました。中村久子さんの講演テープも聞きました。

昭和43年に亡くなっておられますから、だいぶ古いものです。

でも、贅沢な今の時代にこそ、このような時代を生き抜いてこられた

中村久子さんのことを知って欲しいと思います。

きっとこれからの生きる糧となると思います。

この本を読んでから、私はどんな困難がきてもこう思うようになりました。

私には手も足もあるじゃないか。なんだってできるよ。

(こころの手足 中村久子 春秋社)


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心の窓 23.アリの理論

アリの理論

アリの理論という組織論があります。

これは、アリの社会では20%のアリが一生懸命に頑張って他のアリを引っ張り

20%が落ちこぼれて、あとの60%はどっちつかずのノラリクラリのアリだそうです。

これは「2対2対6」の割合で必ずこうなるそうで、

さらに、優秀な20%のアリだけを選抜して超エリートグループを作っても

そのなかで、20%の落ちこぼれは出るそうです。

これは人間社会にもそのまま当てはめることができるらしく、

4番バッターばかりを引き抜いて野球チームを作っても、

実際必ず優勝するとは限らないのでよく分かります。

ある仕事に対しては20%の優秀な集団に入らなくても

ほかの分野ではメキメキ実力を発揮して、

集団を引っ張る20%の立場に入ることもあると思います。

要は適材適所、自分の一番向いている分野で活躍ができればいいですね。


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心の窓 22.自分の敵

自分の敵

ある人からこのような話を聞き、まさにそのとおりだと納得しました。

あなたには敵はいますか?

本当はあなたに敵はいないのです。

あなたを傷つけるのはあなた自身であって、あなたの敵はあなた自身なのです。

例えば、あなたに攻撃してきた人がいるとします。

あなたを傷つけるような言葉をいっぱい浴びせ掛けてきました。

しかし、それを対抗して受けずにその毒を食べなければいいのです。

振り回されなければいいのです。

そうすれば、悩むこともありませんし、相手は敵ではないのです。

自分が傷つくということは、相手の自我の欲望の毒を、

自分の同じ自我の欲望で対抗して受けているのです。

自分に同じものがあるということです。

自分を苦しめる敵も自分を苦しみから救うのも、自分以外の何者でもないのです。

自分が何かに苦しんでいるとしたら、自分以外に敵がいると思っているからです。

たとえ誰かからどんな悪口を言われようとも、自分の自我で受け取らないで、

この方は本当のことが分からないからこういっているんだ、と

相手を愛の気持ちで受け止め、さらに

これも自分が成長するために与えられた意味のある試練だ、

と思えた瞬間、自我の欲望から開放されるのです。

少し難しくなりましたが、物事に悩むのも自分、喜ぶのも自分。
自分の考え方がすべてなんですね。
相手が敵だと思うということは、相手と同じ自我を持っている(同じ波長を出している)
ということだと思います。それは大きな反省です。

もし攻撃されることがあっても、そのマイナスの言葉を
愛を込めたプラスの言葉で返せるような自分になりたいと
この言葉を聞いて強く思いました。


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