心の窓」カテゴリーアーカイブ

心の窓 11.他人と兄弟

他人と兄弟

これも、ある方から聞いて、とても考えさせられたお話です。

あなたの嫌いな人を思い浮かべた時、その人は兄弟でしょうか、他人でしょうか?

多分、他人だと思います。

自分が生まれてくるためには、必ず親が2人必要です。

祖父母は4人で、曽祖父は8人必要。

10代先の先祖は1000人必要で、20代先の先祖が100万人。

30代先にもなると、10億人になります。

あなたが嫌いに思っている人と親戚でないためには、

30世代前に親戚でないことが必要です。

30世代前(約1000年前)には、人口が10億人もいなかったはず。

ということは、あなたと嫌いな人とは血縁関係がある親戚だと言うことです・・・。

         計算上はそうなりますよね。
         しかし数字のことよりも、
         人類はすべて兄弟なんだという考え方を持つことが一番大切なことです。
         
         混んだ電車の中で前に立ったおばあさんに気付き、
         「この人は実は遠い親戚なんだ」、と思うともっとやさしくなれると思いますよ。

         今、学校や職場でのいじめが問題になっていますが、
         クラスの友達や同僚をいじめたいともし思ったら、
         相手はたまたま同じ時代に生まれた兄弟(ある意味でソウルメイト)だと思えば、
         そんな気持ちは吹き飛んでしまうでしょう。

    感想文募集中!

心の窓読ませて頂きました。 「原因自分説」「他人と兄弟」感銘しました。 身の財より心の財と言う言葉をよく耳にします。心の窓には心の財となる言葉が沢山あります。私は仕事上、身の財には殆ど興味が薄れてしまいましたが、「原因自分説」や「他人と兄弟」のような心の 財となる考えは、思うのは容易いですが日々の生活の中でその様に生きるのはなかなか難しいですよ
(2002.1.24 Jさん)

Jさん、すべての出来事は「思うこと」から始まります。何かを始めようとしても「思わなければ」前に進みません。
現在の三次元世界以上の段階になると、思うことが即そのまま実現してしまうという話を聞いたことがあります。
             
Jさんがおっしゃるように、心の財となる考えを行うのは、すぐには難しいかもしれません。
でもまず、そのように正しく「思う」ことが出来れば、次の段階への第一歩がスタートしたと言うことです。
そのように生きたいな、と思われたことがとても素晴らしい事だと思いますよ。


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心の窓 10.原因自分説

原因自分説

米川先生の本の中から、もう一つご紹介しましょう。

「テスト」は何のため? というタイトルです。

教師と保護者との懇談で、

「こないだのテストの結果、お宅のお子さんの読解力が今ひとつで、

授業態度も悪いですね」

なんていう先生の会話は、ちょっとおかしいのではないかと思います。

テストとは、子供のためにやるのではなくて、教師のためにやるものだと考えています。

教師がどれだけうまく子供に教えられているかを知るためのもので、

つまりは教師の能力をはかるためのテストだと思うのです。

例えば、60点だったら、

「ああ、僕はこの子に60点分しか伝えられていないな」

と反省し、100点の子には、

「うまく理解してもらっているぞ」

と喜ぶ。そういうものだと考えるのです。

お母さんとの話でも、

「今回は僕の力不足で60点でしたが、今後はもっとよく理解できるように

授業をしていきますから、ご協力をお願いしますね」

という態度でなければならない。

教師として威厳を持つことは大切ですが、

「教えてやっている」という態度と威厳は違います。

(参考文献:かすが幼稚園 園長 米川安宜著 「これだけは知っておきたい 子育てのヒント」)

よくない出来事があったらすべて人のせい、と「原因他人説」に逃げ込む人は、
案外多いかもしれません。
私は、すべて「原因自分説」で物事を考えるようにしています。
つまり、すべての出来事は自分が悪いかもしれない、と考えるのです。

この話にあるように、生徒の成績が悪いのはもちろん生徒の勉強不足ではあるのですが、
では、なぜ生徒が勉強をしなかったのか、
なぜ理解ができなかったのか。
なぜ進んで勉強をするように興味を抱かせることはできなかったのか、
など深く深く原因を探っていくと、結局原因は教師にあるのだということが分かります。

仕事でも一緒です。たとえば契約が取れなかったのは
相手が悪い、上司の指導が悪い、会社が悪い、
いやこの世の中が不景気だから悪い、と責任を他へ転嫁しています。
この不景気でも大きく伸ばしている会社もあるのです。

また、失恋もそうです。振られた原因は何か考えてみると、
自分が大きく成長できる何かを必ずつかむことができます。
振られて相手をうらむより、「自分を成長させてくれてありがとう」
という気持ちを持つことが大切です(出来るかな?)
すべての出来事は、意味のあることなのです。

人のせいにして不平、不満、愚痴をこぼすより、
まず「原因自分説」をとってその原因をよく考え、間違いを素直に認めて
悪いところを直すと、物事がスムーズに前に進むようになります。


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心の窓 8.今を生きる


今を生きる

あるテレビドラマを何気なく見ていて、アッと思うセリフがありました。

高校のホームルームで男の先生が、前にいた男子生徒に突然”キス”をしてこう言った。

「キミは今、男であるボクから突然キスをされた。

こんなこと、まさか予想もしなかったことだろう。

そう、人は未来のことなんか分からない。

では、今キスをされたという過去はどうだ?

変えられるか?

この事実は変えることは出来ない。

では、変えられるのはいつだ?

今しかないだろう。

だから、人は、「今を生きる」ということが一番大切なんだ・・・。

最近のドラマも、たまにはいいこと言うんだなぁと思いました。

そうですね。過去も未来も変えられない。変えられるのは「今」だけなんですね。
今を変えると予測つかない未来だって、ある程度の道筋はついてくるのです。
でも、正確な未来は分からない。
だったら、先のことは心配しないで今を精一杯生きればいいんじゃないかと思います。

また、過去も変えられないんだから、「後悔」なんて必要ありません。
10年も前の出来事を引っ張りだして悩んだり、人を恨んだり、不平、不満、愚痴・・・。
すべての出来事は、人が成長するために意味のあることなんですね。

人からつらい仕打ちを受けて悲しい思いをしても、相手を恨むのではなく、
それは、「相手があなたを成長させるためにあえてそういう役を演じてくれたんだ」と
感謝の気持ちを持てるようになれたら素晴らしいことです。(なかなか難しいことですが・・・)

そしてさらに、そうなった原因を人のせいにはせず、結局突き詰めていけば原因は自分にあったのだ、
と思うことも大切です。

人間は失敗してあたりまえだし、また失敗の多い人ほど大きく成長していくことは
過去の偉人たちの歴史からも証明されています。
失敗は失敗としてきっちり「反省」をして二度と同じ失敗をしないようにし、
今、現在に目を向け、正しく生きて行けばよいのではないでしょうか。

修道女マザーテレサにこんな質問をした人がいるそうです。
「なぜ、いくら手厚い看護をしても助からないような難病の人々に対して、
そんなに一生懸命に心を込めて全力で看護をするのですか?
結局は貴重な薬が無駄になるだけはないのですか?」
という質問に対して、
「今死ぬ寸前の人たちに誠心誠意看護をすることで、
最後の最後にせめて ”うまれてきて良かった・・・”と思って欲しいのです。
みな恵まれない人生を送ってきた人たちでしょう。
最後にはそう思ってもらいたい・・・」といつも応えていたそうです。

マザーテレサは、その病人が死んでしまうかもしれない、
手厚い看護がむだになってしまうかもしれないという未来を見ていません。
人生の途中に誰かが手を差し伸べてあげれば、
この人たちはこうならなかったろうに、と過去を悔やんだり人を責めたりしません。
ただ、今自分にできることをし続け、やることに徹しているのです。
つまりマザーテレサは”実践”しているのですね。


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心の窓 9.ピグマリオン効果

ピグマリオン効果

ピグマリオン効果とは、ギリシャ神話に由来して名付けられた心理効果の一つです。

ローゼンタールの実験(注:1)

アメリカのある小学校で簡単なテストをして、AとBの二つのグループに分けました。

そして、ローゼンタールは「Aグループの生徒達は必ず学力が伸びる」といいました。

8ヶ月後、もう一度テストをしてみると、Aグループの成績の伸びはBグループよりも

知能指数で0.9ヵ年、労利意的判断力は1年以上伸びていました。

小学校の先生達は、簡単なテストだけでどうして学力が伸びると分かったか、

びっくりして尋ねました。

「答案をうちわであおいで向こうへ飛んだのをAグループ、

残ったのをBグループと分けただけなんです」と彼らは答えました。

つまり適当に分けただけというわけです。

これは、たとえばAグループの子供に先生が勉強を教えていて分からなかっても、

先生の意識の中に

「この子はAグループなんだから出来るはずだ」というものがあって、

もう一度分かるように教えなおしたりします。

逆にBグループの子には、分からなければ「それでは次」といってしまうのです。

また、Aグループの子供は「自分はAグループなんだから期待されている、出来るはずだ」

という意識が働いてさらに勉強するようになったのです。

     (注:1 参考文献:かすが幼稚園 園長 米川安宜著 「これだけは知っておきたい 子育てのヒント」)

このお話を始め、素晴らしい内容の本でしたので、ホームページへの掲載の許可をもらうためにかすが幼稚園にお電話しました。
あいにく執筆者である園長先生が不在でしたので、また後日お電話しすればいいと思っていたところ、
わざわざお電話をいただき気持ちよく掲載のお許しもいただいて、とっても感激してしまいました。
かすが幼稚園は心の教育、そして無限の可能性を秘めた子供達の潜在能力を引き出す教育に力をいれておられます。
         
このピグマリオン効果は、親や教育者が「この子にはできない」「3歳児にはムリだ」というような、
マイナスの固定観念や先入観を持つことの危険性を訴えています。
         
子供が「できない、やってやって」といってきても「きっとできるよ、やってみよう」という励ましを何度も繰り返すと、
不思議と積極的になり、なんでもできるようになっていくのです。
ピアノのレッスンでも同じでしょうね。

そして、この本でもやはり「誉めること」の重要性が書かれています。
子供が一番イヤのことは「叱られること」ではなく、「無視されること」「認められないこと」なのです。
無視されないために、誉められることの少ない子供は、わざと叱られるような悪いことをして注意を引こうとしてしまいます。
        
暴走族だってそうですね。大きな音を出して、皆から注目を浴びたいのです。
でもこのようなやんちゃな暴走族でも、一人になると心のやさしい人は多いようです。
         
新聞にありました。あの花火大会での歩道橋の事故、率先してけがをした人たちを助けていたのは、茶パツの若者たちでした。
阪神大震災で多くの建物が倒れて自分のことで精一杯の時に、
下敷きになった近所のおばあさんを大声で励まして助けていたのも、
いつも疎ましく思われていた不良と言われていた若者だったのです・・・。

人間は、「認められたい、賞賛を渇望している動物」なのです。
         

         
■ある掲示板に掲載されていた書き込みを転載します。(2005.2)

     「障害のある弟を守ってくれた少年」

   私の弟が28歳で死にました。

     脳疾患もちで、合併症で15歳まで生きられない、20歳まで生きられないと、
        
     お医者さんに言われ続けてよくぞ28歳まで生きたものです。

        
     5年生のとき、ムリを言って普通学級に編入させていただいたとき、

     弟にケイタ君という友達ができました。

     家庭に事情のあるケイタ君は、5年生ですでにゲームセンターで

     タバコをすっているような早熟な不良でしたが、

     なぜか弟の面倒をとてもよく見てくれました。

     子供は残酷ですから、クラスの中に呼吸器を引きずったクラッチ付きの子に、

     決して寛容ではありません。

     弟は男の子からも女の子からも陰湿なことをされました。

     だけどそれは、ケイタ君がそばに居ないときだけでした。

     好奇な目で見られていた弟に、恐怖の目で見られていたケイタ君は、

     だれよりも(担任の先生よりも)優しく、いつもそばにいてくれました。

    「ケイタがね、“いじめられたらすぐにオレに言え、

     おまえはオレの舎弟だからな”だって。

     でも、舎弟ってなんだろうね、子分のことかな?」

     弟はいつも家に帰ると母と私にそういっていました。

     修学旅行に行く途中で、弟がそそうをしてしまったとき、

    いっせいにはやし立てた同級生を尻目に、

    ケイタ君は下の世話さえしてくれたのです。

    小学校6年生の男の子がです。

    卒業した弟が養護学校に入ると、

    ケイタ君は一層気合の入った不良になってましたが、

    それでもバザーに来てくれて、フォークダンスの参加さえもしてくれました。

    なにをやったのか、16才の時にケイタ君は警察に連れて行かれ、

    ウワサでは少年院を出て、そのまま東京へ行ってしまったと聞きましたが、

    ケイタ君とはそれっきりでした。

    弟が死んだとき、私も両親も、悲しみより

    「やっと楽になれたね、よく28まで生きたね」と

    落ち着いた気持ちでその事実を受け入れましたが、

    弟の身の回りの整理をしていて、養護学校時代の写真の中に、

    弟の隣に寄り添い、腕を組みカメラにガンを飛ばす少年を見つけたとき、

    涙が出てきてしまいました。

    ケイタ君、今どこに居るのですか? 幸せにしていますか?。。。。

     ●本のご紹介をさせていただきます。
      「これだけは知っておきたい子育てのヒント」
       
 著者 米川安宜  頒布価格 ¥1000(送料込み)
           平成13年7月3日初版発行
             連絡先:かすが幼稚園  京都市右京区   http://kasuga.ed.jp/
             (かすがようちえんのホームページからでも注文できます。最新情報の部分を開いてください)


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心の窓 7.お母さんの一言

お母さんの一言

人生に大きな影響を与えた「お母さんの一言」のお話です。

娘の小学校の学級懇談会で、1年生の初めての通信簿についての話しがあった。
担任の先生は「良いところを褒めてあげる手がかりとしてお使い下さい。

丸がいくつ、三角はだめ、などとくれぐれも言わないように」とのことだった。

昔、私が初めての通信簿をもらって、炎天下走って帰ったら、母は家の前で待っていた。

その場で開いて「4が3つか」、とだけ言った。

「3つしか」とは言わなかったけれど、

20歳で私を生んで、初めての子どもだからと一生懸命育てて、

まるで自分に点数をつけられたような顔をして数字を見ていた。

私は不安になって「次はもっと頑張るから」と言ったら、

母は「国語が4は、とっても良いことだ」と笑って答えた。

自分は国語が得意なんだと思い込んで、

その後、中学の国語教師になったのも、あの時の母の一言があったからかもしれない。

親になって初めて、あの時、母はたくさんの言葉をのみ込んだに違いないと思った。

                                朝日新聞「声」欄より

今の教育は逆かもしれません。出来なかった科目は残されて補習をさせられて、ますますその科目が嫌いになってしまいます。

人はそれぞれ得意なもの、不得意なものがあるからそれが個性となって現れるのです。音楽だけ得意な人もいれば、勉強はダメでも運動会ではスターになる子もいます。
もちろんある程度のレベルまでは不得意な科目も努力が必要でしょう。しかし、これからの教育は、「短所を直すよりも長所を伸ばす教育」がベストであるような気がします。

英語が得意な子には、とことん英語を伸ばしてやる。そして自分から、もっと英語を勉強したいと思いレベルの高い学校へ進学したいということになると、他の科目も勉強しないといけない。そうすると好きな英語を勉強したいがために、他の科目も真剣に勉強しだす。そのうち、勉強の仕方がわかり他の科目もつられてどんどん良くなっていく、これが長所を伸ばすということです。

「声」の文書にあるように、たった一言で「自分は国語が得意なんだ」と思い込む。これは、否定せず良いところを誉めたことが良い結果になりました。親は子に「出来るわけがない」という否定語は使わず、「あなたなら絶対に出来る。」と励ますことが必要ではないかと思います。

私も、中学1年の最初の体育の授業でバレーボールをやったとき、「結構うまいじゃないの」という体育の先生の一言でその気になってバレー部に入り、40歳近くなったいまでも、町内会でバレーボールを続けています。影響力のある人の「一言」にはすごい力がありますね。

イチロー選手も、コーチから打撃フォームを改造させられて成績が伸びず二軍落ちになったとき、仰木監督に代わってから「イチローの良いところをもっと伸ばしてやれ」という方針に変わり、グングン成績が上がっていったそうです。

女子マラソンの高橋尚子選手を育てた小出監督も同じです。その選手の良いところを誉めて誉めて伸ばしました。これは余談ですが、小出監督のやり方は、
「この練習は苦しいけどタイムがこれくらい出て金メダルが取れるやり方、この練習なら銀メダル。銅メダルでよかったら、この練習メニューだよ」
といって選手自身に練習メニューを選ばせるのも特徴です。自分で決めた練習メニューだから、苦しくっても耐えられるんですよね。

また、あの松下幸之助さんも、「人に仕事をやらせて70%できたら上出来としなさい」といっています。つまり社員の持つ30%の短所は見ずに、できる70%の長所をしっかりと見て伸ばしてやりなさいということです。

「長所を伸ばせば短所は吹っ飛んでしまう」

相手の良いところを見て、その部分をとことん誉めましょう。

短所は直してもゼロで終わりです。
しかし、長所は無限に伸びていく可能性を秘めています。。。

朝日新聞朝刊「声」欄に載った女子高校生の「心に残った一言」もご紹介しましょう。

足利市の18歳の鈴木さんは今、小学校の先生を目指して頑張っておられます。

そのきっかけになったのが、高校1年生のときの先生の一言です。

鈴木さんは、自分が大嫌いで情緒不安定になったときに、ある先生から

「自分で変えていかなきゃ」と声をかけられます。

そして、先生の提案で自分を変えるために、

自分の長所、短所、記憶の中の自分、どんな自分になりたいかを

ノートに書き始めました。

そして鈴木さんはこう語っています。

「それから2年、私は成長することができました。

その先生の優しさに触れたことで、私は教師になりたいと思うようになりました。

自分に対する先生の存在を、

自分の教え子に対する私の存在にできたらいいなと思っています。」

2004年2月に読んだ本で感銘を受けた部分を引用してご紹介します。
元小学校の校長先生が、朝礼で語りかけた内容が本になって出ています。
「続・おはようございます」~朝礼訓話 第2巻 校長10年の語りかけ(佐久書房)

-講演会での語りかけ-

私は40年間、教育にかかわってきましたが、その長い経験で得ましたことは、

「ほめること」「叱ること」「教えること」の3つをうまくかみ合わせた教育が、

健やかな人間を育成することができるということです。

「かわいくば、3つ叱って5つほめ、7つ教えて、よき人とせよ」という教訓から

いくつかの事例をあげて、話を進めたいと思います。

「ほめる」ということについて、依然読んだ本で、大変感動した話があります。

それは、24歳になる、ある死刑囚の話です。

暗い独房の中で、短い一生をしみじみ考えながら、

たった1回だけ学校の先生にほめられたことを思い出したのです。

それは、中学校の時、図工の先生から

「おまえの絵は下手だか、構図はクラスで一番立派だ」とほめられたことでした。

そこで、彼はその先生に、自分の犯した過ちや、短い人生の中で、

たった1回だけ先生からほめられたことの喜びを、手紙にしたためました。

その後、先生から返事が来ましたが、その先生の奥さんは、短歌の造詣が深い方で、

死刑囚の心を少しでもいやしてあげようとの配慮があったのでしょう、

文面の最後に、先生の奥さんの詠んだ歌が三首添えてありました。

手紙を読んだ死刑囚は、すっかり感動し、それからせっせと和歌作りに励むようになり、

33歳で処刑されるまで、実に多くの歌を詠んだのです。

そして、処刑される前に、

「永らくお世話になりました。私が24歳の、ある寒い夜、

ひもじさに耐えかねて、農家に押し入り、2千円を奪いました。

しかし、その農家の人に見つかってしまったので、殺してしまいました。

しかし、そんな暗い人生の中で、たった1回だけ、先生がほめてくださいました。

私を認めてくださいました。そのことがきっかけで、今、真人間になることおができました。

どうか、つまらない、どんなくせの悪い、どんな貧乏な子どもでもほめてやってください。」

という内容の遺書を残しました。

彼の辞世の句は

ほめられし 一つのことのうれしかり 命いとしむ 夜の思いに

低能児といわれた彼が、学校の先生にほめられたことの感銘が、

いかに深かったかが思い知らされます。

この死刑囚はご存知の方もおられるでしょう。島秋人さんです。

故山本五十六元帥のことばで、私の座右の銘としている教訓を紹介します。

やってみせ 言って聞かせて やらせてみ ほめてやらねば 人は動かじ

かすが幼稚園の米川先生のコラムから転載させていただきます(2004年7月)

「個性」と「野性」

子どもの個性を生かす教育、子どもの本来持って生れた個性を大切に育てる教育。

ゆとり教育とともに、よく耳にする言葉です。

画一的な管理教育の反省からでてきた考え方でしょう。とてもひびきのよい言葉です。

でも、ちょっと考えてみるとおかしなことに気づきます。

子どもが持って生れた個性は、すべてよい個性だ、とは限らないはずです。

もし、生れたままの個性を大事にして育てたら、

それこそ粗野で野蛮で粗暴な子に育つ可能性も大きいはずです。

それは、実は「個性」ではなく「野性」なのです。

野性を大切に育てることがよいことだとすると、オオカミ少女やジーニーのように、

社会に適応できない野性の子を育てることがよいことだ、ということになってしまいます。

子どもはさまざまの個性を持って生れてきます。

しかし、その個性の中から、よい個性を伸ばし、悪い個性を矯正していく必要があるはずです。

その善悪を見極めるのは難しいことかもしれませんが、しかしそれが家庭での教育やしつけであり、

また幼稚園や保育園、そして学校の教育にも必要とされていることだと私は考えます。

子どもの個性を大切に、と考えるあまり、何でも子どものしたいようにさせる。

これは決して個性を大切にした教育ではありません。

私に言わせれば、それは子どもの「野性」を野放しにする教育であり、

もはや教育と呼べないものだ、と考えるのです。

粗野な野性を個性に変えていく作業、これこそが本当の意味での「個性を大切にする教育」だと思うのです。

次もかすが幼稚園の米川先生のコラムから転載させていただきます(2005年7月)

子育てにマニュアルはあるのでしょうか?

子育てに、果たして確かな「マニュアル」は、あるのでしょうか?

さまざまな育児雑誌や子育てに関する本があります。

その中で主張されているものは、それこそ千差万別、種々さまざまです。

ある本には「叱って育てなさい」と書いてあるし、ある本には「できるだけほめなさい」と書いてある。

これでは子育てに「正しい方法などない」と思われても当然です。

あるときすばらしい実践をされている教育者の方の講演で、こんな言葉を聞きました。

「悪いことをした中学生の息子に『おまえなんか、このうちを出て行け!』と父親が言ったとします。

そのとき、ある子は、親父はこれほど真剣におれのことを考えてくれているのかと

『お父さん、ごめん』というかもしれません。

また『そしたら出て行ってやる!』と本当に出て行ってしまう子もいるでしょう。

このように、教育に『こうすれば正しい』というものは、ないのです」

たしかに、その通りです。具体的な場面になると、その子の性格や環境、

そのほかさまざまな状況によって叱り方でも違ってくるでしょう。

川上元巨人軍監督が、「長島を叱るときは、みんなの前で、大声で叱った。

しかし、王を叱るときは、二人きりのときに、説いて聞かせるようにした」と話されていました。

長島さんと王さんの性格の違いで叱り方を変えていた、というわけです。

では、子育ての基本原則のようなものがまったくないのか、というと私はそうは思いません。

私は、園で行っている「生活の四大原則」は、しつけの大原則、

そして、子どもの小さな達成を「ほめ、励まし、認める」言葉がけ、

これだけは普遍のものだと考えているのです。


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