ボランティアツアー
2005年12月に私と妻で、タイ王国の山岳民族の訪問ツアーに行きました。
普段、観光ルートになっていない山奥のさらに山奥、秘境といってもいい場所です。
ここでたくさんの気付きを得ることができましたのでご紹介したいと思います。
■貧困な中での生活
これは小屋ではなく、家です。
板を貼り付けただけで隙間だらけ。片方にはまったく壁がありません。
お父さんは亡くなって、お母さんと小学生の息子、4歳くらいの女の子が生活していました。
食べるものもなく、女の子はガリガリに痩せて、履いているスリッパも擦り切れて親指の部分には穴が開いていました。
家の前にはこのような池(というより沼)があり、ここで洗濯をし、体を洗い、魚やえびをとって食料にします。
日本では考えられない状況に、参加者全員がボロボロと涙をこぼしていました。
山岳地帯でも、いちおう水道が通っているのですが、蛇口をひねると茶色い水が出ます。
しばらく待っていると透明な水が出るのかと待っていると、もっと茶色くなって来ました。
つまり水道の水は飲めないのです。
日本では水道水は飲めますよね。
当たり前と思っていることが、世界では当たり前ではないということを見たとき、
私たちは「当たり前のことに、感謝をしているだろうか」
と考えるようになりました。
■山奥の学校
戦後の日本のような雰囲気ですね。
子供たちの目はキラキラと輝き、イジメなんていう言葉自体が無く、元気に遊んでいました。
この学校は、日本のある企業が世界への社会貢献として寄贈したものです。
お金の寄付ではなく学校を寄付するっていいことですよね。
学校に通えない子供は、読み書きができない、計算ができない、
つまり大人になったときに、町に出てもまともな就職ができないということです。
結局、貧困な生活を続けるしかありません。
子供たちに学校教育をつけさせるということは、貧困の連鎖から脱出できる可能性を与えることになります。
先をみた社会貢献はとても大切なことです。
写真のように、日本の国旗とタイの国旗が並んで出ているのを見たとき、こんな山奥でも国際親善が自然に行われていて、とても感動しました。
■ランチサービス
私たちは、子供たちにランチサービスを行いました。
子供たちは、いつもはまともな食事はありません。
食べるものがないときには、山に木の実を取りに言ったりして食料にします。
目が見えない男の子がいました。
山に食料をとりに行って坂道を転がり落ちて、木の枝が目に刺さったそうです。
写真は野菜のスープですが、子供たちにとっては今日は豪華メニューなのです。
■ワクワク 楽しみ!
全員、器をもって並びます。
3番目の女の子が、「私の順番、まだかなぁ」と覗き込んでいますね。
■ありがとうございます
タイは仏教の国です。
挨拶もなんでも、手を合わせて感謝の心を表します。
とても美しい光景です。
■いただきます
一つのお皿を2~3人で分けあって食べます。
全員で「いただきます!」
今、日本の若いお母さんたちの一部でこんなことを自分の子供に言っているそうですよ。
「給食費を払っているんだから、 “いただきます” なんて言わなくていい」
私はこの話をきいて、情けなくなりました。
いただきます、の意味が分かっていませんね。
お料理にむかって
「私を生かすために、命を投げ出してくれてありがとう!
あなたの命を“いただきます”」
という気持ちが、いただきますの意味です。
感謝の心はどこに行ったのでしょう・・・。
子供たちは、久しぶりのご馳走を食べ始めました。
ところが、残す子供がたくさんいたのです。
「なぜ? たくさんあるからいっぱい食べなさいね」といっても食べません。
ああ、きっと普段空腹だから、胃が小さくなって食べきれないんだ、と思って、現地の方に聞くと、違うんです。
なんと、自分よりもお父さんお母さんはもっとお腹をすかせているから、
もって帰って食べさせる、というのです。
自分よりももっとお腹をすかせた、弟、妹に持って帰るのです。
ある子は、もち米のはいったちいさな弁当籠のフタを
開けたり閉めたりしていました。
本当は食べたいのです。食べようとしてフタをあけるんだけど、やっぱりもって帰りたい、でも食べたい。。。
そんな葛藤の中、やっと一口だけご飯をつまんで野菜スープにつけて食べ、やっと決心したかのように、フタをしめて片付けて、もう運動場を走り回っていました。
本当は食べたいだけど、もっと苦しんでいる家族のことを思う。
そんな、魂が自然に磨かれた心をもった現地の子供たちの姿を見たとき見たとき、私は、どんな観光ツアーよりも100倍以上の感動を得ることができました。
日本人は裕福です。でも本当に幸せかな? と思うときがあります。
経済的に裕福でも、心に悩みをいっぱい抱えていては本当の幸せとはいえません。
タイから帰って、私たち夫婦は今、子供が嫌がっている習い事をやめさせました。
ピアノ屋の娘だからピアノはやるべきだ、というのは、親の勝手なエゴで、本人はもっと違うことがしたいのです。
イヤなものはいやなのです。
それよりも、もっとたくさんの人に、ありがとう、といわれる生き方を教えたほうが、ずっといいのはないか、
貧乏の中でも、あのキラキラと輝く目を持つ、タイの子供たちのように、これから育っていって欲しいと思いました。
タイから帰ってきてから、私の念願だった自作の曲のCDを発表しました。
その中の3曲目「伝えたいこと」の歌詞には、
私が、タイに行って感じたことを詩にしました。
♪世界中の弱い人に目を向けて、
できることからはじめよう・・・
2006.4