忠臣蔵って?
私がいつも思っていることがあります。
日本人って「忠臣蔵」が好きな人けっこう多いですよね。
たぶん、こんなこと書いたら、反発する方も多いかもしれませんが、
やっぱりあれは“恨み”であり、“仕返し”であり、
忠義とはいえ“人殺し”じゃないかな、と思うわけです。
どんなに悪口、嫌がらせを言われようと、
カッとなって刃傷沙汰にして先に手を出したのは赤穂の殿様ですし、
その結果として裁きがあり、そのお上の裁きが不当だったにしても、
今で言う失業状態になったという個人的な“恨み”と周りのあおりもあって、
あんなことになってしまったのだと思います。
そして、さらにその結果として屋敷を襲撃し、
吉良の家来は当然“侵入者”に対して防衛をします。
彼らはそれが仕事ですから。
そして、浪士はたくさんの家来をも殺してしまいました。
その殺された家来たちも家庭を持ち、かわいい奥さんがいる良き夫であり、
子供の良きお父さんだったはずです。
夫を殺された妻、父を殺された子供。
そこに焦点をあててみると、なんともむなしい思いがしてなりません。
小さな子供は、テレビの戦いのシーンや残酷な場面が出てくると
泣く子が多いそうです。
うちの4歳の子も、いつもテレビでそんなシーンに出くわすと
すぐに泣き叫んで、テレビ消して! ほかに変えて! といいます。
しかし、そのままにしておいたり、テレビゲームの戦いや殺人のゲームを続けていると、
それが当たり前になり、なんにも感じなくなってくるそうです。
小さな子供の魂って、ついこの間まで、天国にいた魂だと私は信じていますので、
とってもピュアな心をもった子供の魂から見ると、
大人が平気でそんな残酷な場面を見ていることが不思議でならないのでしょうね。
生まれてすぐの赤ちゃんの魂は、フワフワ浮かぶ
まんまるの風船のようなものです。
長く肉体をもって過ごしてきた大人の魂は、
本来、丸く豊かな魂である軽い風船に、
不平、不満、愚痴、文句、恨み、ねたみ、悪口などの砂つぶがどんどんと投げ込まれ、
次第に重くなっていき、どんよりした暗い世界に下りていくようなものだと思います。
だったら、生きている間にいかにその砂つぶを取り去り、
風船を赤ちゃんの魂のように、軽くしていくかが人生の課題のような気がしてなりません。
どんな理由があろうとも、他人が相手の命を絶ってはいけません・・・。
(2004.12)